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Israel Tour Report

June-July 1997

Title(J)/Title(E)
ライフル | rifle
Jerusalem | Jerusalem
ヘブライ語 | Hebrew
死海,マサダ,エリコ | DeadSea, Masada, Jericho
紅海,ヨルダン | ReadSea, Jordan
Goodbye My Friend | Goodbye My Friend

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国際会議を利用して,イスラエルに2週間滞在する機会を得た.会議 終了後の一週間は,行き先も定めぬ気ままな一人旅だった.イスラ エルにいると宗教と民族について深く考えさせられる.しかもそれ らは,ヨーロッパのような過去の遺産としてではなく,3000年の歴 史の現在進行形として伝わってくる.砂漠や死海などの自然美もさ ることながら,僕に最も強烈なイスラエルの印象をもたらしたの は,一つの音楽「Goodbye My Friend」だった.

ライフル
イスラエルの警戒体制が他国と比べて強烈なことは有名なことだ. 空港での荷物チェックやセキュリティーチェックが厳しいのはもち ろんのこと,バスセンターやデパートなど人の集まるところには, 必ずライフルを持った軍服姿の男がテロに備えて常駐している. Tel AvivからJerusalemに向かう一般のバスは,半数以上の乗客がラ イフルを持って兵役に復帰する若い男女だった.
僕の場合,行きの飛行機からこのテロ警戒の体験をすることになった.New YorkからTel Avivへ旅立とうとしたTWA機は,まさに出発直前,搭乗手続きを済ませたのに搭乗しなかった乗客が2名いることが発覚,爆発テロを恐れたTWAは,出発を取りやめた.結局,別の航空機を手配し,すべての荷物を再び移し変え,400名の乗客を乗り換えさせることになった.子供連れの家族も多かった,さぞ大変だったろうと思う.5時間遅れの朝2時半に離陸した機内で夕食を配るクルーも大変だったろうと思う.

Jerusalem
神聖な場所の中に,敬虔な信者と観光客が混じり,さらに土産物を売ろうと客引きが混ざる.Jerusalemは,不思議な街だった. イスラム教のモスクの裏にユダヤ教の嘆きの壁,そしてそのすぐそばにはキリストが裁判にかけられて処刑されたゴルゴダの丘(実際は旧市街の中).それぞれの神聖な場所に対する警備の違いも面白い.モスクに入るには靴を脱いですべての荷物を外に置いて入らなければならない.モスクの中では真剣に祈っている信者や昼寝している信者,それを珍しそうにながめる観光客.僕もモスクの中を「見に」行ったので偉いことは言えないが,信者にとっては物凄く神聖な場所を,観光してしまうことにかなりの抵抗を感じたことも確かだ.そのため,ささやかながら,モスクの最先端に行くのは遠慮したし,嘆きの壁も遠巻きにながめるだけで終えた.キリストの最後の地だけは,観光地化されていたので抵抗感はなかったが. コーランが響き渡る街を黒装束のユダヤ教徒やシスター達が歩いてゆく.今でこそ,3つの宗教が平和的に共存して互いの信仰に不干渉の立場をとっているが,これまでの人間の戦いの歴史の縮図を垣間見るような気がして複雑な気持ちにもなる.
しかし,そんなことにはお構いなしに,アラブ人の土産物屋は客寄せに必死である.暇そうに客待ちしている彼等にとって通りすぎゆく観光客がどこの国から来たのかを当てるのが唯一の楽しみらしい.僕は「日本人」,連れ歩いたアルベルトも「イタリア人」とほぼ的中,しかしアメリカ人のポールはどこへ行っても「ドイツ人」と言われるのが面白かった.

ヘブライ語
少なくともヨーロッパ諸国を歩く限り,アルファベットが基本となる言語なので,町中の案内標識に戸惑うことはなかったが,ヘブライ語一色のイスラエル国内は,本当に異国へ来た,という感じで滑稽だった.きっと,日本を訪れる旅行者も同じ印象を受けるのだろう.右から左へ書かれるヘブライ語表記では,コカコーラのロゴも当然右から左へ.テレビの英語番組の字幕も当然右から左へ.旅行会社のパソコン操作も表組みは右から左だった.面白いことに数字を書くときは通常通り.したがって,店の開店時間の表示は,1700-0900と0900-1700の両方が混在し,原住民も混乱しているようだった.ヘブライ語は,母音を省いて表記するのが普通らしい.だから苦労してウエイトレスの名札を読んだとしてもMKBとかVDTだったりして,やはり全然読めないのだった.一度,美術館で小さな銀細工の楽譜が展示されていたとき,ト音記号が右にあり,楽譜も右から左へ書かれていたので驚いた.横にいた係員に確かめたところ,「そんなはずはないけど..」と言いながら彼も驚き,数分後,それがスタンプであることが判明するまで二人で首をかしげたのだった.

死海,マサダ,エリコ
ツアーバスを利用して死海往復の日帰り旅行に参加した.エルサレムを出発したバスは,砂漠の中をひた走り,やがて海抜ゼロ地点を通った後も延々と道を下り,海抜マイナス398mの死海に到着.周辺は何もない砂漠,時折リゾート地としてのレストハウスやホテルが点在する.バスは初めにマサダ要塞を案内した.観光前に店で水と帽子を準備するように言われ,僕はヘブライ語でコカコーラとかかれた帽子を買ったが,実際帽子があっても強い日ざしで,ペットボトルから沸騰したお湯をこまめに飲むはめになった.マサダは2000年前にローマ軍に攻め込まれたときに,ユダヤ人が最後まで抵抗した要塞だ.一万人のローマ軍に対し,1000人弱のユダヤ人が数年間の抵抗の後,全員自決した場所だという.現代のイスラエル軍の入隊式がここで行われ,「マサダは2度と陥落させない」と誓わせるこの地,ガイドがスペイン人で救われた気がした.
さて,楽しみにしていた死海の浮遊体験.本当に簡単に体が浮いた.死海の水は塩っぱすぎて,唇に触れただけで我慢できないくらいだ.みんな水着で写真を楽しんで撮っているので,僕も便乗した.
人類最古の街と言われるエリコは現在,パレスチナ自治区.バスはエリコに入ったものの,誰も下車することは許されず,単に窓から遺跡の発掘現場や悪魔の山を見ただけで終わった.街道のパレスチナ人は呑気に手を振っていたが,さびれた土産物屋がもの悲しく両勢力の関係を語っていた.

紅海,ヨルダン
親しくなったアルベルトに薦められて,ヨルダンに行ってみたくなった.Jerusalem近くのアレンビー国境では,ビザが取れないと旅行会社に言われ,Tel Avivの大使館へもどる時間が惜しかったので,イスラエル南端のEilatへ向かってAqaba国境から入国することにした.
Eilatはイスラエル第一のリゾート地だ.Jerusalemからのバスは一日3本だが,幸い前日には席を確保することができた.バスは5時間かけて死海沿岸から砂漠を走り,いきなり高層ホテルの建ち並ぶ美しい海に面したEilatに到着した.気温と湿気の高いこと高いこと.安いホテルを確保してそこにたどり着くまでの10分ほどで,体中汗がでる.翌日にヨルダンのPetraに行くツアーを発見したので申し込み,結局その日は紅海に少し入った後,インド料理屋に捕まってカレーを食べた.美味しかったが,翌朝ひどい腹痛になった.
ヨルダンのツアーは朝6時半の集合.約10分で国境に着いた後,イスラエルの出国とヨルダンの入国とで2時間弱を要した.ヨルダン側で用意されたバスは冷房完備の素晴らしいバスで,ガイドがさらに一人と観光警察が同乗する念の入れよう.荒涼とした砂漠をひた走り,ヨルダンハシミテ王国のフセイン国王は第三夫人を王妃としたというような説明を聞くうちに,目的のPetra着.事前に地図は買っていたが,地震で開けたという岩石の山の通路に作られたローマ時代の建築物に今さらながら圧倒される.自然の景観を利用しているとは言え,これは本当に目で見る価値があった.ただ,暑すぎて乾ききり,3時間の行程直後はほとんど死にそうであった.
翌日はのんびりと紅海を泳いで体を焼いた.透明度の高い海で,ブイの下には熱帯魚が泳いでいた.Tel Avivの地中海沿岸には老人ばかりだったが,ここはリゾート地なりに,多くの観光客で賑わっていた.たった半日の海水浴だったが,思った以上に日焼けして,後がたいへんだった.

Goodbye My Friend
イスラエル人の友達を訪問する機会があった.7年ぶりに会った彼女は,夫を紹介してくれた.舞台監督の卵だという.ちょうどSabat(ユダヤ教の定める休日ですべての店や交通機関が金曜の夕方から土曜の夕方までストップする)で夕食をどこでとろうか路頭で迷うところだったので,彼のもてなしてくれた夕食は格別ありがたかった.彼等は宗教的な結婚を嫌い,結婚式は挙げずに,人前でささやかなパーティをするだけで済ませたそうだ.この場合,法的には夫婦と認められないらしく,子供が生まれたら問題がでてくるだろう,と話していた.どうしても宗教婚を避けるには,キプロスに3日間旅行して,海外挙式の事実を作れば,イスラエルでも婚姻関係が認められるそうだ.
そんな夕食後の雑談のなか,何か音楽でもかけようとCDプレーヤーにスイッチを入れると,非常にもの悲しい曲が流れて始めた.彼等はしばらくしんみりと曲を聴いた後,これはラビン首相の国葬の時に流れた曲で(作曲者はもともと自分の友人に死を悲しむ歌を作ったのだが)クリントンが述べた最後の言葉「Goodbye My Friend」をタイトルにしたアルバムだと説明してくれた.雰囲気が暗くなってしまったので,こんな曲をかけてごめんと謝り,彼はCDを入れ換えたが,僕にはその一瞬がイスラエルの現状を端的に表現しているような気がしてならなかった.ヘブライ語の歌詞は全くわからないが,ユダヤの迫害の歴史に無言に耐えている彼等の立場を代弁している感じがした.
たった数分のことなのに強烈な印象をもたらしたCDが欲しくなり,僕は翌日から「Goodbye My Friend」というタイトルだけを便りに,いくつかのCD屋をまわった.しかし,どこの店でもすぐさま「そのCDは現在もうプレスされていない」との返事.(一軒だけ「Hello, My Friendか」と聞き返された).ついに最終日,カセットテープならある,という店を発見,手に入れることができた.

イスラエルは,人類の負の歴史を一国で背負ってしまっているような国だ.国内の治安はかなりいいし,英語も問題なく通じ,観光客も歓迎される点では,旅行者にこれ以上便利なところもないだろう.短期に滞在するには申し分のないところだと思う反面,この国の国民は大変だろうとも同情する.高校を卒業後,男性は3年間,女性は2年間の兵役義務があり,その後も毎年数カ月の兵役義務につく彼等にとって,自国の平和を守り,テロを警戒しながらの生活は決して楽しいものではないはずだ.イスラエル国民のパスポートは国際的にまだまだ強い制限がつけられている.いくら平和な社会になりつつあるとは言え,イスラエルは今後決して手放しで平和を享受することはないだろう.その運命を静かに受け止めるかのような一連の歌「Goodbye My Friend」は,やはり今でも僕の琴線に触れる.

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I had a chance to visit Israel for two weeks. After the international conference, I traveled around Israel and also Jordan for a week. It was quite free, no advanced detail schedule. While I was in Israel, I felt the importance of religion and ration in human history. That feeling is not like a historical monument like in Europe, but like a present progressing form over 3000 years history. I also enjoyed the beuty of nature such as Deadsea and the Negev desert, however, the most impressive item was a music "Goodbye my friend".

Rifle
(under translation)


Last Updated: 1997/7/15
by Hisaaki Shinkai