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なんでもありの国,メキシコ

(2002. 5. 13-25)

 当初ドイツで行われるはずだった研究会が,何故かメキシコで開 かれることになり,メキシコシティにあるUNAM(メキシコ自治大学)に二週間滞在 することになった.研究会は朝九時から夜八時頃まで時間がとられており, ホテルから大学までは地下鉄で三〇分はかかるので,なかなかハードな日程だった. 半分をこなした週末にやっと市内を見て回る余裕が出た.

 空港も市内も観光地も治安が悪い.常に用心しながら行動 しなければならないのは結構疲れた.例え襲われたとしても,金品さえ差し上げれば 生命に危険はないようだが,初日に早速地下鉄で財布を擦られた教授もいたため, 移動時や夕食時はなるべく仲間と 注意しながら動いていた.現金をATMから引き出すときは,まわりに警官 がいるか,仲間を待たせているときだけ.財布には盗まれても良いような額 だけ.コインはすぐに出せるように...etc etc.
 要所要所にはライフルを抱えた警官 がたくさんいるのだが,ガイドブックには警官も信用してはいけないと書 いてある.メキシコは階級社会と割り切られていて,レストランでもホテルでも 対価を支払えば安全が保証されるらしい.ガイドブックには肌の白さは 身分の高さに比例する, とまで書かれていた. 泊まったホテルは一泊40ドル弱の 中級ホテル.研究会側が斡旋してくれたので多くの仲間が泊 まっていてとりあえず心強かったのだが,英語が通じなかったり,食事がいまいちだったり, (メキシコシティの中心部Juarezにあるのに) なぜか向かいの駐車場から毎朝ニワトリが日本語でコケコッコと 雄叫びをあげていた.一歩外に出れば路上で軽食や雑貨の露店が乱立し,小銭を求 める人々もいる.路上では6ペソ(10円)でタコスが買えるらしいが(大学内の 路上ではその値段で買ってはいるが),旅行者は70ペソほどの朝食をレストラン で取ることになる.こんなに値段のちがう生活をしていていいのだろうか,と 自問はすることもしばしば.
 一度,仲間を誘って,地元のバーにビールを飲みに行った.旅行者用のレストランと ちがうのは,しょっちゅう物売りが店内にやって来ることだった.逆に,旅行者用の レストランに,ピエロの格好をした風船売りが入ってきたこともあった.レストランは 即座にガードマンを呼び,子供相手に風船細工をするピエロのすぐ後ろで ライフルを抱えたガードマンが威圧する,という光景にも出会った.

 どこもスペイン語であふれていて英語が通じる人は少ない.しかし双方が 英語とスペイン語でも,何となく通じてしまう.だいたい旅行者の会話なんて たかが知れているものだ.目があっても 会釈しない国柄だし,みな難しい顔をしながら歩いているので怖い印象も拭 えない.数日経って,メキシコ人の顔つきのパターンにも慣れてきた.一人で歩 いているとき,人相の良さげな男がフレンドリーに近 寄ってきたのでしばらくつき合ったら,貸したボールペンを取り返すのに金を 要求してきた.ペンは贈呈して別れたが,こういう状況がある限り,偶然出会う 友人を得るのは無理かもしれない.もともと観光客は金を落とすことを目的に 歓迎されているのだから,これはある種仕方がないことかもしれないのだが, 不快な思いはさせて欲しくないものだ.

 地下鉄は一回2ペソ(3円).朝夕は2分おきにどんどん来て,駅で止まる時間 はほんのわずか.客が乗り込んでいようが構わずドアが閉められる.ものすごい スピードで走り,ものすごいスピードで止まるので,慣れるまでたいへんだ. 朝のラッシュアワーに先頭の数車両は女性専用であるらしいことも数日経って わかった.Juaresの駅からは男でも乗れてしまうのだが,車内は化粧をする人々で あふれている. 物売りも音楽隊も必ず車内を巡回してくる.韓国の地下鉄では結構商売 になっていたようだが,ここでは乗客は無視している.

 テレビ番組に出てくる女性は,皆美しく,髪が長くて,へそ出しルックなので 感動してしまう.平日の夜8時には,帯ドラマがあって,ペネロペクルス似の女優が 毎日登場していて楽しかったし, 女性カルテットJeansが歌っているのをテレビで観た翌日に は,CDを2枚も買ってしまった....が,街を歩いている人々は, そうでもない.これは初めてアメリカに渡ったときも感じたことだが,やはり テレビで欧米に憧れるのは現実との乖離があることを自覚せねばならない.時差 ぼけのため,深夜番組を見ることになるのだが,夜半はずっと「痩せる」 商品広告のオンパレードである.食事療法,運動ビデオ,運動器具に電気製品, ケミカル療法,痩せて見える服...世の中いろいろあるものだ.  

 メキシコシティに点在する建物や彫刻の数々は,ヨーロッパの町を彷彿 とさせる.現在のメキシコは,1521年にスペイン人が植民地にした時から ヨーロッパ文化が入ったというが,それは当時メキシコを支配していた アステカ帝国(Aztec, 1350~1521,中部メキシコ)とミックステク帝国(Mixtec, 1200~1521,中央アメリカ)を完全に破壊する過程でもあったという.スペイン人 は,彼らの建造物を破壊しその石材を使って,スペイン独自の立派な建造物を 次々と街中に築き上げた.現在のメキシコシティの中心地にはテンプルマヨー ル(Temple Mayol)と呼ばれるアステカ帝国の中央神殿の跡がある.ビルの 建設過程で20年前に発見されたという.アステカ以前にもテオティワカン文 明(Teiotifuacan, 150BC~750,中部メキシコ),マヤ文明(Maya, 200~1200,中央 アメリカ)が繁栄していた.テオティワカンは当時世界最大の20万人都市を築 いていたといわれ,メキシコシティから車で1時間の距離にある都市遺跡には 太陽のピラミッド・月のピラミッドが残されている.どちらも10分弱で登れた. マヤ文明はゼロの概念を持ち,20を単位とする高度な数学を持っていたことで 有名である.これらの遺跡からは,多くの石像や壁画・貝殻が発掘されており, 併設されている美術館や人類学博物館に展示されている.太陽の石と呼ばれる マヤのカレンダーや,アステカの神々の石像を見ると,「もしこれらの独自の 文明が今も存在していたら」という無念な思いに捕われる.  

 振り返ってみると,メキシコは混沌とした,なんでもありの国だった. 生活レベルの幅もあるし,人種も文化もいろいろ. メキシコシティの一角には,私設音楽隊の広場があり,一晩中客を求めて 群がっている. 道路は自動車優先で,歩行者は常に細心の注意を払わなければならない. 慣れてしまえば,それまでなのだが,違和感を残したまま帰国することになって しまった.

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Last Updated: 2002/6/5
by Hisaaki Shinkai