Hisaaki SHINKAI Homepage
ベンクロキ研究レポート top | 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回

ベンクロキ研究レポート 第4回

『ネブラスカから来た男--ベンクロキの物語』第2部 第5章 

ベンクロキ研究班 真貝寿明

  今回は第5章の訳出を行う.第5章からは,第2部とされ, 舞台は一転して日米開戦の日に戻る.

[ネブラスカから来た男 第5章] ------------------------- 第二部第5章

 二人は沈黙したまま,誰も走っていない道路をスピードを出 して運転していた.二人とも同じことを考えていた.
 二人は,ノースプラット・エビスコパル教会(North Platte Episcopal Church)の地下室に集まった50人の日系2世達の顔を 今でも鮮明に思い出せた.みんな,ラジオから流れる戦争につ いての話が単なる宣伝に過ぎなければいい,と思いながらいる と,誰かが突然叫んだのだ.「おいマイク(Mike),新聞を読ん だほういいぞ...」
 外では,新聞売りの少年が大声を出していた.「号外... 号外....日本が真珠湾を爆撃....全容を読みましょ う...」
 50人の顔は心配のあまりこわばり,何人かの女性の目には恐 怖がにじみ出ていた.皆互いを見つめあい,そして誰も何も喋 らなかった.長い静寂を破ったのは,そんな微妙な空気を敏感 に感じとった子供たちの突然の泣き声とひそひそ声だった.誰 かが心細く言う.「家に帰って家族に知らせなければ...」
 しばらくして,ベンのトラックの運転を助けてくれた男が, ベンの家に半分恐れおののいて飛び込んでできた.「ベン,ウィ チタ(Wichita=カンザス州南部の都市)で奴らがどうやって調べ ていたか知っていた方がいいぞ.まるで俺がどろぼうだと決め つけているみたいだったぜ.カンザス州から出るまでに少なく とも6回はハイウエィ・パトロールにも停められたよ.彼らはこ のトラックがベンのものだって知っていたんだ.もういちどこ のトラックで出かけるようなことがあったら,やつらは間違い なくトラックを破壊するぜ.神に誓って言うよ,ベン.やつら はトラックを壊しにかかってくる...」部屋は突然沈黙し, そして運転手は頼りなくつぶやいた.「ベン,俺たちどうした らいいんだろう...」
 そんなことどうして彼が知っていようか.いったい彼に何が できると言うんだ.立ち上がって演説でもしろ,というのか. 新聞に広告でも出せというのか.
「私のトラックを壊さないでください.私の肌は黄色いですが, 私は生粋のアメリカ人です...」
父は年長の功だ.父は彼にどうしたらいいか教えてくれるかも しれない.
 父親は疲れ果て痩せこけてはいたが,彼の目は澄んでいて自 身に満ちていた.「軍隊に志願しなさい,ベン.軍隊に志願す るんだ.」
 ベンはすぐには理解できなかった.父は何を言い出すんだ. 父の家族は,まだ大勢日本に住んでいるじゃないか.父は,45 年前にこの民主主義の新しくて自由な国に渡ってきたが,結局 は肌の色が皆と違って,英語が話せないという理由で子供たち からは石を投げられ,大人からはいいように足蹴にされてきた じゃないか.それなのに何故...
「何故,お父さん」
「それはアメリカがお前の国だからだ,ベン.だから闘うの だ.」
単純明解だった.ここが彼の国なのだ.だから闘わなくてはな らない.当然のことだ.
 しかし傍らの母は泣いていた.彼女は抑揚のない英語で悲し げに喋っていた.「殺されてしまう...殺されてしま う...」
その通り.ベンは殺されてしまうかもしれない.フレッドもだ. 戦争は「西部戦線異状なし」そのものかもしれない.汚れた塹 壕に大きな鼠,砲弾が真上から降ってきて,人間を無数の破片 に砕いてしまうのだ.
 ベンは身震いした.車は緩やかにカーブし,フレッドの声が した.「見ろよ,ベン...」
 あいつらがこの戦争を始めたくそ日本人達だ.世界を征服し ようとたくらんだ馬鹿なファシスト野郎だ---憎むべき奴らだ. 闘って殺してやりたい.
 ハーシイの町から一番近い新兵募集事務所は,150マイル先の グランド・アイランド(Grand Island)にあった.二人が階段を 上り始めると,それまでの笑い顔は緊張して消え,足元もおぼ つかなくなり,心臓は早く打ちはじめた.二人にはこれから何 が起こるのか全く想像がつかなかったからだ.軍曹は,おそら く二人を罵って,階段の下へ二人を蹴落とすだろう.それとも 二人を牢屋へ送るかもしれない.予想がつかなかった.とても 怖かった.
 しかし,その心配はすぐに消えた.新兵募集担当の曹長は, 二人を旧友であるかのようにもてなした.「よく来てくれたね え,お二人さん.どうしてだか分かるかい?私が新しいお客さ んを軍隊に届けると,私はボーナスをもらえるんだよ.」彼は 笑い,二人も彼に合わせて笑おうとした.
 志願書に記入を終えた後,ベンが尋ねた.「それで,いつか ら私たちは軍隊生活に出発するのでしょうか」
曹長はまた笑った.「いいか,若いの.家に帰って,女の子た ちにグッバイのキスをして,しばらくのんびりとしていること だ.次の一群が出発する前に知らせるから.」
 帰路の運転は全く雰囲気が違った.車の中は会話と,興奮と, 笑いにあふれた.
「思っていたよりずっと簡単だったな,ベン」フレッドが言う. 「ああ,俺は汗でびっしょりだったよ.なにせどうなるか全く 分からなかったからな」
二人はどうやったら一緒に空軍に入ることができるかを話し合っ た.フレッドは航空士に,ベンは爆撃パイロットになりたいと 思っていた.
 帰宅後,二人の笑い声が家の中を明るくした.
「二人が軍服を着るまで待てないわ」一番末の妹のローズマリー が言う.「少年達よ,ここにいる少女達はみんなあなたたちを 応援しているわ」
 彼らはすでに少しばかり気取って,自分達の友達に誇らしげ に喋り,近所の人たちからお祝いを受け取っていた. その夜ベンは,ビリヤードホールでビールを一箱買うために町 へ出かけた.乾杯するためだった.
 ビリヤードホールは込んでいて,ベンがビールを待つ間,顔 見知りの農家の一人がベンをじっと見つめ,大きな声を張り上 げた.「おやおや,この町にいるジャっプも今晩はお祝いをし ているようですなあ....」
 ベンは心身麻痺状態になったように固まってしまった.動け ず,なにも喋れなかった.考えることすらできなくなった.す べては真っ白な状態になってしまった.何とか通りへ出ると, 当てもなく足早に歩き始めた.怒りがこみ上げてくると,言い 返してやるべきだったこと,やり返すべきだったたくさんのこ とが頭の中を巡った.どうしてベンは彼らに自分はもう入隊志 願を出した,と言ってやらなかったんだろう.どうして少なく とも一発くらわせなかったんだろう.
 待つ日々は一週間に延び,そして一週間は二週間になろうと していたが,入隊担当の曹長からはなんの連絡もなかった.家 の中の活気と笑い声もだんだんとなくなっていった.はじめの うちは農場から帰ってくるたびに,ジョージがいつも「手紙は 来た?」と尋ね,彼らはいつも冗談まじりの応えをしていたが, やがて冗談もなくなり,ジョージも聞くのを止めてしまった. 家中が張り詰めたようにまた固まってしまった.何か悪い方へ 向っているのではないか,という深い悩みがすべてを支配して しまっていた.
 彼らが町へ繰り出すたびに,誰かが冗談まじりに訊ねた.「あ なたたちはいつ軍隊にいくのかね.二人とも数日後には出発す る感じだったじゃないか」
 精神的にこたえる言葉だった.二人は町へ出かけるのを止め てしまった.
 そんなある日,ベンが新聞を読んでいると,新たな一群の新 兵たちがグランド・アイランドから出発する記事が,一面に大 きな目立つ写真と共に載った.ベンは長距離電話をかけた.「曹 長,僕たち二人はずっと待っているのです.どうしてあなたは 我々を徴集してくれなかったのですか」
 しばらくの沈黙の後,曹長は普通とは違う声色になった.「い いかい,若いの.なんて君に説明したらいいのかわからないん だが,新しい戦争担当省の規則らしくて,日本人の子孫の入隊 は止められているんだよ.残念だが,そんな感じの話なんだ. だけど,そんなに心配することはないと思うよ.どうせすぐ規 則は変わるだろうから.そうなったら知らせるよ.今君に出来 るのは待つことだけだ.」
 なんて簡単な言葉なんだ ---「待て」.だけどいつまだなの か.数週間か,数カ月か.毎日人々は聞いてくるのに.友人は 同情し,近所の人は疑っているのに.道の向こうから人が歩い てくるのが見えたら,誰にも見つからないように隠れ,日増し に心労は高くなっているのに.いつまで待てばいいのだろうか.
 農場で2週間を過ごすうちに,二人は疲れ切り考える力も失せ てきた.家中心配にあふれ,ひっそりとしたままだった.
 そうこうするある日の昼食時,ジョージが何げなくこう言っ た.「おい,ノースプラットにも新兵募集事務所が出来たこと を知っているか.行ってみたらどうだ?」
二人はとても興奮し,食事もそこそこにして車に飛び乗り走り 出した.しかし車で走るうちに彼らの興奮も冷め,疑問の芽が 出始めた.
 フレッドは突然陰鬱になった.「行っても無駄かなあ,ベン. グランド・アイランドでだめだったから,ここでも入隊はでき ないんじゃないかな.」
 ベンは唇を固く結んだだけだった.「そうかもしれない」 ここの新兵募集の曹長も二人を喜んで迎えてくれた.志願書を もう一度記入した後,二人は次の質問ができずに,じっと立ち 止まった.
「さて,君達は何を待っているのかな.保安官の事務室で,君 達に前科がないことの証明をもらってから,ここへアメリカ市 民二人からの推薦書を持ってきなさい.そうすれば君達には明 日にも次の入隊を許可することを誓うよ.」
 やったーーー.二人はほとんど飛び上がった.保安官事務室 の所へと急いだ.そして,給油所の所でヨーク・ヒンマン(York Hinman)とラス・ラングフォード(Russ Langford)に遭った.ラ スは二人を見て笑った.
「すごい嬉しそうじゃないか.誰かが見たらこれから結婚する のかと思われるよ...」
 しかし翌朝,二人が直立不動で立っていたのは曹長の前だっ た.10人の仲間と一緒に,曹長が本を読みあげるのを聞いてい た.「では私の言うことを繰り返しなさい...」(翻訳 寿明)

[解説] ------------------------- -----

 ここで新たに判明したのは,ベンの父親はこれより45年前に 日本より渡ってきた,ということである.母親は,共に渡米 したのか,渡米してから結婚したのか不明である.今回訳出 した部分の舞台は1941年12月7日(日本では8日)のはずだから, 両親の渡米は1896年(明治28年)ということになる. ベンの両親の名前はまだ明らかにされていない.また, ベンクロキは,生粋のアメリカ生まれだった.
 ここでもう一度,黒木八重子記者からの文章を振り返ってみよう.
『住太郎の父松次郎の弟(黒木勉)といふ若者が単身渡米, 一度も帰国せず行方不明とされていたが,第二次大戦の折, アメリカ軍として手柄をたてベンクロキの名がニュースにのり, ようやく所在がわかった.其の後三万坪の土地に落ち着き三人の 子供がいた.と,そこまでの話だが,広いアメリカに同じ血の 流れをくむ人間がいると思ふのも愉快ではないか.寿明君とは 四世代になっている.』
 くいちがいがあることがすぐ分かる.本書に描かれている ベンクロキは,八重子氏の言う渡米した若者ではない. ベンは明らかに二世である.ベンの10人の兄弟姉妹は長女Fujiを除いて, アメリカ風の名前を付けていたらしい.そうすると「勉」という漢字を 当てるのも疑わしい.

 八重子氏のいう黒木勉という人物と,有名人となった  ベンクロキは全くの別人の可能性がある.

 一歩譲って,それでも私と血縁関係がある可能性は あるだろうか.黒木住太郎氏は明治33年生まれだった. だから住太郎氏の父の弟が単身渡米した,というのは, ベンクロキの親が渡米した頃と一致する.だからベンクロキ がその若者の息子だった可能性はある.勉という若者が結婚 して自分の息子の一人にベンという名前を付けた可能性もある.

黒木    
|---松次郎--|---住太郎
|
|---[勉? 渡米した若者]
    =? [ベンの父親]
    |----長女  Fuji      
    |----男    George    
    |----男    Henry     
    |----男    Ben  ----3人の子供?
    |----男    Fred     
    |----女    Cecile     夫はBob 
    |----女    Wilma    
    |----四女  Rosemary  教師が教えた最後の下の娘 Chicagoで秘書
    |----男    Bill        下から二人のうちのひとり
    |----男    Beatrice    下から二人のうちのひとり

ベンクロキ研究レポート top | 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回
updated Feb 12, 2000