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オランダ再訪記

(1999.6.12-15)

ベルリンからオランダのスキポール空港に着いて,1時間 の乗り換え時間の間に土産品を物色し,ハイネケンビール を一杯飲んでデトロイト行きに乗りこもうとしたところ, なんとパスポートのビザが期限切れであなたはこの飛行機 に乗れません,とのセキュリティーの厳しい答え.パスポー トのビザは確かに昨年10月に失効しているが,それは1年 の滞在延長を証明するIAP-66の書類がカバーしているはず だ,と信じていたのだが(そう大学の事務員に言われてい たのだが),IAP-66は大学の受け入れプログラムの延長を 証明するだけで入国には別途ビザが必要らしい.旅行者と してアメリカに入国するには帰りの航空券を持っていなく てはだめ,と行く手を阻まれ,飛行機を目前にして搭乗を 拒否されてしまった.
ファイナルコールで自分の名前が呼ばれ,空港の職員が僕 の事情を確認すると,ゲートは閉じられた.荷物は特別の レーンから出てくるという.飛行機会社はビザ問題が解決 次第,別の便を手配してくれる,と言ってくれた.ただ, 運の悪いことに土曜日で,週末はアメリカ大使館は休みだ そうだ.教えられた大使館の電話では録音されたメッセー ジが繰り返されているだけだった.

そんな事情で,オランダに入国することになった.9年前に デルフトという小さな町で一夏を過ごしたことがあるだけ に,一応土地勘があることが救いだ.幸いオランダ人はみ んな英語を理解してくれるし,大使館のあるアムステルダ ムは空港から電車で15分の距離だったはず.ダッチギルダー の通貨もなんとなく見覚えがある.旅行者インフォメーショ ンでアムステルダムのトラムの路線図を買い,空港の近く のホテルを2泊予約してもらった.「Thank youは,オラン ダ語で何と言うんでしたっけ」「Dankです」「そうでした. Dank u wel」
思えば2年前にイスラエルの会議に出たときも,ニューヨー ク行きの飛行機が不具合によりアイルランドに着陸し,そ の後ロンドンで一泊,ニューヨークで一泊余儀なくさせら れたことがあった.この時は観光どころではなかったが, 今回は違う.ホテルでチェックインを済ませた後,空腹感 がどっと出てきたので,以前行ったことのある中華料理屋 にもう一度行ってみようと,夕方アムステルダムへ向った.

ベルリンから来た身としては,アムステルダムの喧噪は別 世界だ.駅前から延々続く観光客の群れ.若者はリュック サックを背負って歩いており,インドネシアやスリナムな どからの移民を筆頭に雑多な人種が混ざり,言葉もさまざ ま聞こえる.治安はいいはずだが,所によっては怪しげな 目つきの人も多い.9年前の自分にとって,アムステルダム 駅周辺の猥雑さは一つの大きな魅力でもあったが,今回は 少し抵抗感も感じられた.当時と今の違いは何だろうか. 結婚して,子供が2人いて,旅慣れて,英語が一応聞き取 れるようになって,...一食1000円を越えることに冷汗 をかかなくなったことだろうか.若い学生の旅行姿を見る と,当時の自分が思い出されてくる.
街の大きさは足が覚えていた.中華料理屋は内装がきれい になっていた.土産物屋でデルフトブルーの皿を懐かしく 見たこともあり, ビールを飲みながら,明日はデルフトへ行ってみようと思 い立った.手帳にはまだデルフトに住む3人の友人の名前が あったが,土曜の夜遅くにいきなり「明日会えるか」と電 話されたら迷惑だろうと思い(少なくとも僕はそうだ), 一人でこっそり感傷旅行することに決めた.

当然のことだが,9年前と変わっていないものがあり,変わっ たものがある.どちらだとしても感慨深い.今では,2階建 ての列車が走り,ロンドン行きの特急列車が時刻表に掲載 されている.限界に近いほどスピードを出すトラムの姿は 昔と変わりないようだ.デルフトの町はほとんど変わって いなかった.トラムが延長されたり,駅前にビルが建てら れていたりはしていたが,マルクト広場周辺はかつてのま まだった.いや,むしろ,この場所は数百年間変わってい ないのだから当たり前だ.あいにく日曜日だったのでほと んどの店は休みで,観光客相手の店だけが開いていた.1時 間説明を受けて買ったカメラの店も,ひいきにしていたポ ストカードの店も休みだった.フレンチフライにマヨネー ズをつけて食べながら,マルクト広場でマーケットが開か れた光景や移動遊園地が来た日のことを思い出していた. 当時共同生活した長尾君と住んだ通りの名前も自然と出て きた.
残念ながら雨が降り出したので,デルフト散歩は中止にせ ざるを得なかった.晴れていたら,世界中から同じ交換プ ログラムでデルフトにやってきた仲間と毎週飲みに来てい た店や一度だけ行ったディスコの場所へも足を運び,一人 で一喜一憂したことだろう.日本酒を売っている店のディ スプレイがどうなったか,当時レンガを敷き直していた道 路がどうなっているか,どうでもいい些細なことが気になっ たが,とりあえずデンハーグ行きのトラムに飛び込んだ. このトラムに乗った理由はただ一つ.ビル一面に大きな気 球の絵をペイントした建物をもう一度見たかったからだ. わたせせいぞうの漫画にも出てきたと思うが,一つの窓だ けが特別に気球の中央に位置するようにペイントされてい て,とてもユニークな図柄なのだ.僕の記憶ではその建物 は実在し,このトラムの路線の北側にあったと曖昧に覚え ていたのだが,残念ながら見つけられなかった.記憶違い だったかもしれないし,建物自体がなくなったのかもしれ ない. 違うトラムの路線だったかもしれない.
ハーグの町にはいくつかもう一度訪れたい美術館があった が,また来ることもあろうと思い,そして,また来るため の口実を残しておこうと思って,今回の感傷旅行は終了と いうことにした.もし今日が真夏の海水浴日和だったら, 近くのスケベニンゲン海岸の北にあるヌーディストビーチ へは無理して足を運んだかもしれない.残念であった.

アメリカ大使館でのビザの申請は比較的順調にいった.朝8 時半の開門時には15人位が並んでおり,僕は事前に申請費 を銀行に振り込んでいなかったので,再び銀行に行ってか らもう一度出直す必要があったが,ビザは無事に,当日の 午後4時に受け取ることができた.やっとこれでアメリカへ 帰れる,そう思うとオランダ訪問の3日間もいきなり良い思 い出に変わってしまうから不思議だ.昨日までは,人生最 悪の日曜日,と呪っていたのに.
結局飛行機のスケジュールの都合からもう一泊することに なり,合計3泊とチケット変更のペナルティーを合わせると かなりの出費になってしまったが,いい経験ができたこと で,良しとしよう.ちなみにオランダからはノースウエス ト航空だったのだが,アメリカの航空会社に対しては特別 なテロ警戒体制がひかれているらしく,搭乗前に一人ずつ 10分くらいの尋問があった.ふとイスラエルからの帰りを 思い出させてくれる一場面だった.搭乗前に緊急時の連絡 人と電話番号を書かせられたので本気でヒヤッとしたが, 無事に航空機はデトロイトに到着した.ただし1時間遅れた ので,乗継ぎ便を変更しなければならなかったり,税関の 任意抽出検査で選ばれて隠し持っていたリンゴを2つ没収 されたり,と最後まで運が悪かったのも事実だった.

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Last Updated: 1999/7/18
by Hisaaki Shinkai