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研究に未練があるか,研究者に未練があるか


  『「勝つ」道筋が一本しかない社会はあやうい.(中略)「勝つ」道筋が一本だと,いったんその道 筋で負けた人は「負けっぱなし」になってしまう.』 和田秀樹「嫉妬学」(日経BP,2003)

 ポスドク生活のゴールは,大学の教員になることだとずっと考えてきた.大学でしかできない研究 を専門にしている以上,当然だろう.そうならない自分を考えたくなかったし,考えたこともなかっ た.しかし,教員に採用されるかどうかは多分に「運」である.研究上の運もあるだろうし,人脈や タイミングの運もある.自分の実力だけでは最後の壁を越えられないことを学習すればするほど,研 究生活はなんてヤクザな商売なんだろうとも思う.

 今年は僕の人生にとって大きな転機だった.3回目のポスドクの最後の年となり,来年以降の職を どうするかのリミットが迫っていた.年齢的に日本ではもうポスドクを続けられない.無職となるの はどうしても避けたいが,かといって再び海外に出るのも躊躇する.結果から報告すると,僕がオ ファーを受けることにしたのは,これまで目指してきた研究職ではないが,研究生活の体験が大いに 活かされるだろう,という不思議な職である.(ここで具体的な職を明かすことはしないが,)先方 からオファーを受けてから決心するまで,心身疲れ果てるまでの葛藤があった.自分で書類をそろえ て志願したのにも関わらず,受け入れ先の採用担当の人にまで揺れる心情を吐露してしまい,ご迷惑 をかけてしまった.最近ようやく落ち着いてきたので,そのへんの事情を書いておこうと思う.

<職のオファーを受けるまで>

 先の見えないことほど辛いことはない.自分でも自覚していたが,今年の前半6ヶ月は鬱状態だっ た.某大学の助教授採用面接では落ち度がなかったと自信を持っていたのに,「教育経験不足ゆえ, 今回は教授候補の方を採用することに決まりました」という一通のメールが発端だった.競合した相 手が悪かった,と何人かになだめられたが,これまでの人生で面接で落とされたことのなかった私に は結構こたえた事件だった.

 まだオファーを受け取る前の今から3ヶ月前に,自分をなだめる目的で書いた文章がある.その中に,な ぜ自分が大学教員の公募に採用されないのか,自分以外の原因を列挙した部分がある.それらは, 「大学教員の任期制導入による助手ポストの削減」であったり「大学教員の定年延長」「ポスドク1 万人計画による大量のオーバードクター」「意味不明なポスドクの35歳年齢制限」「大学の再編によ るポスト減少」「少子化による大学減少」「研究テーマの大型化・プロジェクト化に伴う個人の独自 研究の過小評価」だったりする.自分の実力を棚にあげて,社会状況に理由を転嫁するのは好きでは ないが,列挙した項目の多さに今更自分で驚いたのも事実である.

 自分の研究が超マイナーな「一般相対性理論」だったのも一因だろう.つまらない論文は量産した くない,とつまらない意地を持っていたのも一因だろう.自分の研究は海外からは結構評価されてい るのに,何で日本では受けないのだろうか,と真剣に悩む日々だった(今でもそうだが).

 これまで60を超える公募書類を出してきたが,手当たり次第に書類を出してきたわけではない.と りあえずどこでもいいから,大学教員というのも一つの考え方かもしれないが,学生の学力低下に文 句を言いながら自己満足の研究者気取りをするのも避けたいものだ.自分で納得できる所にだけ書類 を出してきたつもりである.

 研究を続けるべきか.一度疑い始めると,急に研究することにシラケが差してしまった.ここで論 文を1つ2つさらに増やしたところで何になろう.世界で20人は読んでくれるかもしれないが(それ でも結構多い方だと思うが),日本人で何人が私の論文を評価し,私の採用に動いてくれるのだろうか.
 研究を止めるべきか.そう考えるのもつらい.これまで15年近く努力してきたものが,役立てられ ないとなると,とても空しい.書庫を名乗るほど増殖した物理の本は捨てられないし,それがまた頭 痛の種になる.

 自問自答を続け,延々とループ状態から抜け出せない日々が続いていた.巷では「鬱」がちょっと したブームになっているようだが,原因がはっきりしている鬱ゆえ,鬱対策の本を読んだところで解 決するものではない.渡米した折には気分高揚に効くとかいうサプリメントの購入まで妻に指導されるほどだったのだが,薬に 頼らないうちにオファーが来たのは幸いだった.

<職のオファーを受けてから>

 オファーを下さったのは某財団である.学位を持ち,英語力があって,自然科学全般に精通してい る,という条件で公募があった定員1の職である.研究職でないのは承知の上で応募書類を出し,面 接でその点を聞かれたときも大丈夫です,と答えた.しかし,いざオファーをもらってから,研究に 未練がある自分を発見した.

   あと半年,公募に応募を続ければ,どこかの大学が採用通知をくれるかもしれない.もっと満足の いく給与を提示しくれる職があるかもしれない.これまでの研究上の努力や人脈がほぼ無になること に耐えられるか....

 冒頭の「嫉妬学」の本を手にしたのはこの頃である.博士をとってポスドクを続けると,「正規教 員への採用」のみがゴールとされる.できなかった者は敗者だ.これまでそういう仲間を何人も見て きたし,その度に次は自分かと冷や汗をかいてきた.

   自分が未練をもっているのは「研究」ではなく,「研究者になること」だったのではないか.しか し,数式や計算機相手のこの分野に,人恋しさを感じていたのも事実である.狭い世界に息苦しさが なかったといえば嘘になる.

 その次の価値を何に見いだすか.それを考えたとき,「世のため人のため」を理念に掲げるその財 団のその職は,自分にとって最適解ではないか,と思い至った.

 折しも世界のいくつかのグループと共同で始めたプロジェクトがある.発起人の一人に名前を連ね ている以上,そのプロジェクトの責任は取りたい.財団の面接では,副理事長が「アインシュタイン だって特許局で働きながら相対性理論をつくったんだ.君もその気になれば何だってできるはず だ.」とまでコメントしてくれた風通しの良さである.その言葉を信じ,財団側からも余暇を使った 研究の継続は自由(ただし所属財団名は明かさず),との条件をいただき,私は転職を決意すること にした.並行して応募していたいくつかの大学へは,応募辞退の連絡をし,自ら退路を断った.決意 するまでの3週間,とても重い毎日だった.(先方の採用担当の方,大変ご迷惑をおかけしました. 読まれていないとは思いますが..)

<職のオファーを受ける決心をしてから>

 自ら驚くほど,心が軽くなった.毎日,公募情報を探し回る時間・応募書類を準備する時間が不要 になり,これからの自分を考えられる余裕ができてきた.鬱病もどこかへ消えてなくなった.

 何がいちばん心残りか.それを考えたとき,これからの職の「匿名性」であることに思い至った. 研究者として活動することは,「自分の業績」を全面にして売り出すことだ.その「自分」が組織の 中に消える.社会の多くの人にとっては当たり前のことかもしれないが,自分の存在は社会に主張で きる形で残したい.

 わがままな願いかもしれないが,現代では,自らの情報発信手段が,インターネットという形態で 簡単に可能である.本を著して社会に貢献するのもあり得よう.今後の生き方に思いを巡らすうち に,数ある可能性に想いを馳せ,再び前向きになってきた今日この頃である.

 最近,「磁力と重力の発見」という大著を刊行した山本義隆氏に関する記事がAERAにあった.記事 は,大学を離れても学問への強靱な意志を持ち続ける山本氏の姿をとりあげ,こう結んでいる.

『山本氏は,(全共闘)運動のただ中にいた69年2月,当時の朝日ジャーナルにこう手記を寄せてい た.「ぼくも,自己否定に自己否定を重ねて最後にただの人間---自覚した人間となって,その後あ らためてやはり一物理学徒として生きてゆきたいと思う」』(山本義隆氏が著した科学史,AERA 2003年9月15日号)  

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Last Updated: 2003/10/8
by Hisaaki Shinkai