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韓国初訪記

(2001. 10. 21-30)

-- 到着まで --

 はじめて訪れた隣国は,なかなか異国で新鮮だった.招待してくれたのは,同世代 の英国人研究者で,彼は現在梨花女子大の試用教員である.共同研究をしているのだ が,なかなか私の方が進まないので,呼び出しをくらってしまった,という方が正確 な表現かもしれない.とにかく,女子大の寮で10日間過ごす,というだけで,わくわ くしながら,ソウルへ乗り込んだ.テロ直後の時節柄,がらがらの成田空港から,何 故か満員のUnitedでソウルに着く.時差もなく,近さを感じる.
   まず,全然英語が通じないのが驚きだった.空港から601番のバスに乗れ,と指示 されていたが,間違って,601-2番に乗ってしまった.乗るときに運転手に確かめた のだが,結局終点で全く違うところに来たことが分かり動転.英語の通じない運転手 は近くの学生を通訳として使い,別の運転手が近くまで送迎してくれ,親切にもタク シーを拾って行き先も伝えてくれた.漢字を書いたら通じるかと思っていたのだが, 全くだめなのだった.しかし,イタリア人と同じように韓国人は親切で,助かった. 「カムサハムニダ(感謝しますだ)」という韓国語が通じたかどうかは分からない. タクシーに乗り込んだときは,運転手も学生も握手してくれた.

-- 韓国語 --

 町中どこでもハングルだらけである.地下鉄の駅には英語と漢字も併記されている が,戦後の新世代は,漢字からは完全に遠ざかっているらしい.ハングルは表音文字 の組み合わせで,努力すれば読める文字ではある.もちろん,読んですぐわかるもの でもないが,漢語由来の言葉は意外と日本語に近い.写真(サジン)水曜日(スヨイ ル)日本(イルポン)東大門区(トンダエモング)...
 大学から滞在費をもらうこ とになっていたのだが,事務のお姉さんは英語が得意ではなく,私と英国人とで書類 を作成することになった.彼は滞在1年だけあってさすがにハングルをすらすら読 む.彼がハングルを読み(「サイジュ」)私が意味を解し(細事だろうから detailか)お姉さんが確認する,という変な光景も見られた.

-- 梨大 --

 梨花女子大(Ewha Womans Univ., イーファ)の正門は,地下鉄の梨大(イデ)駅 からすぐだが,キャンパスは山の中である.隣同士のビルの間は5階相当の標高差が あり,階段道か急坂を上り下りしなければならない.なるほど学生はみんなスマート だ.ゲストハウスは,大学寮の隣にあるが,ここは山の頂上に近く,夕食で一杯飲ん でも20分ほど山を登って帰るうちには酔いも冷めてしまうのだった.学生はよく勉強 するらしい.そんな風情の学生が多かった.残念ながら滞在した研究室には,今学生 がいないんだそうである.物理を専攻する学生数が最近大幅に減っているとのこと, 残念なことである.
 ゲストハウスには学生寮と共通の食堂があって,200円弱の朝食をそこで食べるこ とになるのだが,朝食メニューは,パン食か韓国食の2種類.後者はスープとご飯に キムチ2種ともう一品.これが,毎日続く.昼は,職員食堂で食べることが多かった が,スパゲティを頼んでもキムチが必ず付いてくる.

-- キムチー --

 まさか,ここまでキムチが毎食付いてくるとは思っていなかった.初めの数日はな んとかクリアしたが,数日後には自主的に「ノーキムチデー」を設けることにした. ゲストハウスで何人かの外国人と話したが,皆初めは,キムチ付けの生活を一週間続 けてみてリタイヤし,だけどだんだん体が慣れてくるんだそうである.私も10日後に は,だいぶ「慣れた」気がした.毎度の食事で大汗をかかなくなった.
 一人でふらりと小さな店へ入ることも多かった.庶民の店では,5000ウォン(500円) 位で,豪華な(大量の)食事が出てくる.また,路上では屋台も多い.一人だと入 り口にカタカナ表記のメニューのある店に誘われる.しかし当然日本語は通じない. 「ビビ冷麺」を頼んだときは,キムチ色の冷麺が大量に盛られてきた.食べ初めてみ ると,麺が切れていない.しかも麺は強くて歯でかみ切れず苦労していると,店の人 が,テーブルの上にあった鋏で麺を切ってくれた.よくまわりを見ると皆そうして食 べているようだった.鋏を使う光景は,街のあちこちでも見られた.焼肉屋では,目 前で七輪で焼きながら,店の人が頃合いを見て肉を鋏で食べやすいサイズに切ってく れる.パン屋では長いフランスパンを鋏で切っていた.
 この国では,赤唐辛子からは逃れることは不可能だった.現地の日本料理屋(普 通,やや高級,超高級)にも入ったが,うなぎや豆腐にコチジャンが付いてきたり, 寿司にキムチが付いてきたり,うどんには文句なしに七味が結構大量に振りかけられ ていた.
 ガイドブックにも書いてあったが,韓国では必ず上の立場の人が食事代を持つらし い.3ヶ月前に南アフリカの会議ではじめて会った,キム先生は,実はこの大学の学 部長だったらしく,豪勢な食事を2度ほどお世話になった.ごちそうさまでした.

-- 街の中 --

 街ゆく人は,ほぼ完全に日本人と同じ顔である.いかにも韓国人という顔もあるに はあるのだが,日本人のパターンに当てはまる人も多く,向こうから歩いてくる人 が,知り合いの誰かの顔にピタリと当てはまってしまうことも少なくない.「あっ, ○○君が歩いてきた.次は○○さんだ.」という具合である.言葉さえ通じれば,こ こが日本と断言しても通じるだろう.SF小説でいうパラレルワールドに迷い込むとい うことは,実はこんな錯覚を覚えることかもしれないと考えた.私の顔も,韓国人の パターンにあるようで,どこへ行っても韓国語で問いかけられてしまう.特に大学の 中では,(学生ではなく)おばさま方に道を訪ねられることも数回あった.
 韓国の若い女性は,かなりの人が若干の整形手術を受けるとの話がある.どの人が そうなのかは,見分けが付かない.しかし,その話を英国人としていたとき,彼は 「でも僕は韓国人がどうやってビルを建てるか知っているから」と一言.手抜き工事 の慣習を踏まえて,なかなか言い得て妙なコメントだった.

 週末は少し観光もした.英国人にまず勧められたのは,李氏が建てたという景福宮 (KyongBok-Kung).つい最近再建されたようで,あちこちに,ここは16世紀最後に日 本人によって壊され,太平洋戦争中にも日本人によって再び壊された,という説明が 韓国語英語中国語日本語で記されていた.そして国立民俗博物館へ.なかなか良くで きた博物館で韓国人の生活様式がディスプレイされていた.仁寺洞(InsaDong)骨董品 商店街も歩く.なかなか面白い.翌日は,昌徳宮(ChangDok-Kung)というこれまた李 氏が建てた大きな宮殿へ行くことにする.ここはガイドツアーで一周する仕組みにな っていて,韓国語は30分ごと,日本語と英語ガイドは2時間おきにあるのだった.ち ょうど日本語のツアーの時間に間に合った.ガイドは大学を出たばかりの女の子で, とてもかわいらしかったのでみんなその子の写真ばかりを撮っていた.(カメラを持 って行かなくて残念).「おおしゃま」が歩いた所や,「あじゅまや」を見ながら, 「こちらへどうじょー」と案内されながら1時間半歩いた.建物は日光の東照宮の大 型版.木々が「もみじ」していてきれいだった.ちなみに,写真を撮るとき,韓国人 は「チーズ」ではなく「キムチー」と言うんだそうである.

-- 遺憾な過去? --

 日韓の間には,遺憾な過去があるとは言え,韓国側は多くを日本に習い,街に日本 語も所々見られた.隣国とは言え,日本にはそこまでの準備はない.「遠くて近い 国」とはよく言われることだが,勝手に距離を置いているのは日本の方ではないか, とも感じた.ソウルのデパートでブランド品を買い漁るだけの旅行には閉口するが, もっと身近な交流が頻繁にあっても良いと思った.その意味で,その一歩を今回踏み 出せたのは,なかなか嬉しい.

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Last Updated: 2001/10/31
by Hisaaki Shinkai