HShinkai: His Comment/what I recommend today 2001

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- February 20, 2001

論文著者数についてのアンケート

 アメリカ物理学会のメーリングリストを通じて,ある研究者が, 論文の著者数についてのアンケートを送ってきた. 最近の 自分の論文に載った共著者は,共著者たるに適していたか,という アンケート である.
 物理学会の規定する論文著者の定義は, "Authorship should be limited to those who have made a significant contribution to the concept, design, execution or interpretation of the research study. All those who have made significant contributions should be offered the opportunity to be listed as authors. Other individuals who have contributed to the study should be acknowledged, but not identified as authors." 要するに実際に研究成果を出すのに貢献した人間,ということである. これに対してアンケートで引き合いに出されているのは,生物薬学会の定義で "Authorship credit should be based only on 1) substantial contributions to conception and design, or acquisition of data, or analysis and interpretation of data; 2) drafting the article or revising it critically for important intellectual content; and 3) final approval of the version to be published. Conditions 1, 2, and 3 must all be met. Acquisition of funding, the collection of data, or general supervision of the research group, by themselves, do not justify authorship." 先の物理学会の定義と 違うのは,実際に論文作成に加わり推敲をした人間,と明記していることと,単に データをとっただけ,あるいは単にグループの長である,という人は著者に 含めなくて良い,と踏み込んだ記述が見られることである. アンケートでは,どちらの定義が好ましいと思うか,そしてあなたの論文の 著者全員はこれらの定義に対して適正だったかどうかなどと質問がならぶ.
 こういうアンケートがあること自体,現在の巨大科学と なってしまった物理学の一端を示していると言える. 素粒子実験などでは数十人の連名で論文が書かれることが久しい.最近では グループ名で一括されていることもある.これに対して我が重力物理は まだ少人数決戦で挑める分野である. しかし,私の指向する数値相対論の分野では,最近徐々に規模が大きくなり, 個人の自由がなかなか利かなくなってきているのが実状である.これはひとえに 数値計算がスーパーコンピュータを必要とするからであり,そのための 予算確保が研究グループの組織化を促進するからだ. このへんの事情についてはいずれ項を改めて書くつもりだが, グループの都合上,著者数が(学生やポスドクからすれば)不本意に増えて しまうのは日常茶飯事のようでもある.
 今日の事態がアンケート一つで解決するとは思えないが, 著者数や著者順で不満を抱いた若者は,きちんとこのアンケートに 応えただろうか.

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- March 1, 2001

100回目の離着陸

 初めて飛行機に乗ったのは大学院に入った夏,ヨーロッパへIAESTEプログラムで研 修に出かけたときだった.初めて飛行機に乗る,と聞いて指導教授はアエロフロート を推薦してくれた.これはおそらく正しい指導だったろう.なにしろ「飛ぶ」という ことに感動するレベルの旅だったから.
 それから10年ちょっとが過ぎ,飛行機に年数回は搭乗する機会があり,このたび 100回目の離陸と100回目の着陸を迎えることになった.幸いなことに両者は同数であ る.
 飛行機の搭乗記録だけは,私はこまめに付けている.これまで荷物が同時に到着し なかったのは1回.飛行機が遅れたのは数回.機体の故障で予定外の国に不時着した こともあり,ビザの不備で搭乗直前に足止めされたこともあった.何故かビジネスク ラスに格上げされたことも2回ある.いつも安さを第一に飛行機会社を選んでいるの で,マイレージもばらばらである.最も多く搭乗したのはNorthwestだ.数年前の大 きなストでマイレージが永久有効になったこともあり,先日初めて50000マイル使っ て米日往復した.タダほど嬉しいものはない(税金57ドルのみ負担).本当はこの往 復分でもう一回往復分のマイレージに達するはずだったのだが,タダ旅行はマイレー ジ貯金に加算されないと言われ,残念であった.Alitalia航空はいつも強烈な印象を 残す.アテンダントがタバコを率先して吸っていたり,着陸時には客席から拍手が上 がったり,なかなかイタリアである.
 日本発着の便はほどんど500人乗りのジャンボジェットだが,アメリカ国内便では 当然ながら,大きくても250人乗りである.ステートカレッジへは,30人乗りのプロ ペラ機である.慣れるとこのプロペラ機もおつなものだ.飛行機ががんばって離陸, 着陸していることが肌で感じられる.離陸前に乗客の体格を見て,フライトアテンダ ントが機内のバランス調整をする,といったら信じてもらえるだろうか.以前に「通 路側」と指定してチケットを買ったとき,旅行会社の人が「通路側と打ってもA席と 出てしまうのですが...」と困惑したことがあったが,左は一列席なので通路側と 言っても正しいのであった.
 よく思うのは,日本の空港の使いにくさである.成田・関西がアクセスに時間がか かるのは言わずもがな.ベビーカーを搭乗口で係員に渡すと「普通は」飛行機を降り るときに出口で受け取れるものなのだが,成田・名古屋(関西は別)はバッゲージク レームまで歩いてくれ,と言われてしまう.しかもそこまでは距離も段差もあり,時 差ぼけで寝ている子供を抱いて歩くにはとても苦しい.それから空港の待ち時間にパ ソコンを使うことも多いのだが,日本の空港ではなかなか電気が盗めない(今これを 書いているミネアポリスではコンセントはあったが電気は流れてなかったけ ど...).どちらも残念である.
 フライトアテンダントが若くて美しい,というのは日本と韓国の航空会社にのみ当 てはまる.彼女らと親しくなるためには,(本人ではなく)同乗者が機内で病気にな ることだ,とどこかの本に書いてあったが,幸いながら私にはそのような経験がな い.
 これまで乗った中で最も快適だったのは,TWA機が事故で航行不能になり振り替え てくれたVirgin Atlanticの英米便であった.機内の安全説明ではアテンダントが一 列に並んでラインダンスを披露してくれるし,エコノミーでも専用テレビ・ゲーム付 き,そしていろいろおみやげ持ち帰り放題.乗った便はがらがらで果たして採算がと れているのか疑問だが,ブランソン社長は,別に飛行機会社で儲けようとは思ってい ないのかもしれないので余計な心配はしないことにする.

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Go to ペンステートの1年8カ月を振り返って [研究編] ---------------- March 2, 2001

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Go to ペンステートの1年8カ月を振り返って [町の紹介編] ---------------- March 6, 2001

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Go to ペンステートの1年8カ月を振り返って [生活編] ---------------- March 8, 2001

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- March 10, 2001

マリーおねえさあん

 世の中,やはりいたのだ. マリーお姉さんのファンが. こういう形でカミングアウトしてくれる人がいると話が早い. 早速,ホームページの制作者に連絡を取ってしまった. 知らない人もいるかもしれないが,『NHK英語であそぼ』の 第2代お姉さんのクロイ・マリー・マクナマラ Croi Marie McNamara である(...みんな知らないか).
 私もマリーお姉さんのファンだった. 私の心の英語の師匠である.私が人生で唯一ファンレターを送った芸能人である. 93年度,94年度の朝はこの番組に間に合うように(といっても8時35分だが) 頑張って起きていた(理解のある妻も). NHK教育の ファンサイトはいくつかあるが,(例えば, きょういくてれびのたまてばこ / おかあさんといっしょ unofficial / 英語であそぼであそぼ),なかなかマリーお姉さんの活動を全部網羅している人は いなかった.それがいたのである.感激である.
 渡米してから,なかなかマリーお姉さんの活動がつかめず,私のコレクションは 『サンリオの英語の歌』ビデオが最後だ.ラジオ番組も聴く機会がなかった.彼はそれを web上で順次公開しているではないか.感激である.
 私はマリーお姉さんがナベプロ所属でホームページを持っていた頃,一晩かけて ファンレター(英文)を送ったことがある.もう数年前のことだ (...ということは当時の私にはすでに子供もいたなあ.). しかし, 時期が悪かったか,テンプル大学のアドレスに送ったけど,もう夏だったから 卒業してしまったあとだったのか,(当然) 返事が来なかった.残念無念である.
 マリーお姉さんはコロラド出身だそうだ.ロッキーマウンテンを口実として, 私の家族は一度コロラドを旅行したこともある. しかし,電話帳にはマクナマラ姓は ありすぎて,マリーお姉さんの実家を突き止めることはできず (それじゃストーカーだって),その場の空気を思い切り吸って帰ってきたものだ. いつかは,マリーお姉さんが育ったというエジプトも行かなくてはいけないと 思っている.ああエジプトで国際会議ないかな.(ないよ,相対論研究者いないもん).7月に 南アフリカ行くから寄ってこようかな.
 アメリカに来る前に必死で集めたマリーお姉さんビデオを見て子供達は育っているので 子供らは今でもマリーお姉さん番組は現在進行形だと思っているかもしれない. それが,...今や行方不明とは.残念無念である.webの良いところは, こうやって呼びかけておくと,誰かが情報を寄せてくれることである. マリーお姉さああん,今どこで何してるーー? Where are you, Marie?

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- March 21, 2001

さあ出国

 いよいよ帰国である.この文章は,朝6時の飛行機に乗り遅れないよう,徹夜を覚悟し,方違えを許してくれた私の車の次の所有者であるM君の部屋で書いている.M君は,親切にも私の空港までの運転手を申し出てくれ,あとで出発時間が早朝と聞いて後悔していたが,結果として,私は最後の夜をM君宅で明かすことになったのだ.私の日本人の知り合いが4人勝手に乗り込んで焼き肉パーティーを開いたので,少し不機嫌のようだが,まあ許してもらおう.(しかし彼からofferしてくれたので助かった.研究室のみんなは朝5時と聞いて「I miss you」というばかりだったから.)
 先週末には,私の受入ホストとなってくれたAshtekar教授がfarewell pizza partyを開いてくれた.このグループには1年8ヶ月いたが,特定個人のためにこのようなパーティーを催すことはこれまでなかった.教授の配慮にとても感謝し,ここにお礼の言葉を掲げたい.ピザを食べながら,約1時間にわたって,Ashtekar教授・Laguna助教授とフランクに話した.外部の者として,このグループがどう映っていたのか,どこを改善すればいいのか,聞きたがっていた.「来週にはいないんだから,何でも言ってくれよ」という調子だ.また,パブロが「帰るときにはセントルイスに挨拶していくのか」とそれとなく聞いてきたので,(僕が以前のポスドクのところで教授とうまくいかなかったことを)どこまで知っているのか,と問いただすと,「噂で聞いた」らしい.そこで話は「教授はどこまで学生やPDをmicrocontrolすべきか」まで及んだ.ここでも教授達はどこまで指導するか悩むらしい.
 最後の数日は,諸々の手続きで感慨に浸っている余裕がなかったが,ふとしたことで,こみ上げてくるものがあり,僕もだいぶ涙もろくなった.家の裏にあった,子供の自転車と車,Freeとして表に出しておいたら 中国人の老夫婦がもらっていってくれた.そりも誰かが持っていった. どれもずっと手元に置いておくものではないけど,なくなってみると, それらを使って嬌声を上げていた子供達の様子が思い出されて, 懐かしかった.そういえばmoving saleで コーヒーテーブルやテレビ,ロッキングチェアを売った瞬間もそうだった. どんな安物でも愛着があり,手放すのはいつも辛い.また,最後の日には,自宅前のストップおじさんにも挨拶をした.この人には,もう二度と会わないかもしれないと思うとまたすこし寂しくなった.
 しかし,別れがないと次へ進めない.とりあえず前向きに考えよう.
 日本に帰ったら何をしたいか.思う存分,さっぱりした食事を楽しみたいし,何より片っ端から本を読みたい.帰国するたびに,時間さえあれば本屋を漁っていた.日本の出版サイクルは短いので,面白そうだと思った本はできる限りは購入したものだが,やはりこの数年間,手近に日本語の本屋がないことへの焦燥感はしばしば感じていた.ネット上で書評を読んだあと,実物を手にできないもどかしさから,もうすぐ開放される.何よりである.(最近なかなかよい書評サイトを見つけた.基本的には本屋なのだが,読者に買うかどうかの判断をさせるような書評を一般から募っている.なかなかいい企画である.書評なんぞは,書きたい人間が自主的に書くのが一番なのだ.ただ,こうした場合,どこまで著作権が守られるのか,あるいは徹底的に酷評した場合,営業上の理由から削除されるのではないかと心配にもなるが.)
 日本に帰ったら,アメリカ映画以外も見てみたい.アメリカの映画館ではほとんどアメリカの映画しか上映されない.フランス・イタリア系の映画はほとんどない.テレビでもないし,ビデオ屋にもないのだ.(だからすっかりフランス女優には疎くなってしまった.)日本で大人気の子供向け「ピングー」もアメリカで見つからないことを考えると,大手配給会社が配給権だけを買い取り,恣意的に文化障壁を作り上げているのではないかとさえ疑ってしまう.
 逆に日本に帰ったら怖いものとか(閉所恐怖症とか花粉症とか),アメリカを去ると失ってしまうもの(ビクトリアズシークレットのカタログとか)もあるが,とりあえず前向きに考えよう.

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- May 18, 2001

長い旅を終えて

 引越もようやく落ち着き,各地に引越通知を出す余裕が出てきた.アメリカからの荷物も何一つ失うことなく届き,両親の所に預けておいた2カ所からの家具類も搬入され,一時は,新居の容量をオーバーする荷物だったかと思われたが,なんとか歩けるスペースが確保できている.子供たちも入学・入園式を経て無事に日本の学校教育に滑り込んだ.毎日自転車で職場通勤,というストイックな生活を送れるのも頑張って新居選びにこだわった賜だ.新しい仕事場も,それなりに自分のペースがつかめてきて,ようやく本格的に営業再開,といったところである.しばらくエッセイページを更新しなかったが,こちらもぼちぼち再開する.帰国する最後の朝に書いた文章が残っていたので,上に掲載した.

 帰国しておよそ2ヶ月が経ってしまった.毎日,隅々まで読める新聞が配達されるのはすばらしい.池袋の混雑はまだ耐えられないけど,だいぶ日本の人口密度にも慣れてきた.当然だが,ビデオ屋にはハリウッド以外のものが多数ある.真っ先にMarie Gillain主演映画を借り出したのは言うまでもない.

 それでもまだ時々,自分がこの地に生息していることが不思議に思える.アメリカにいたときに感じていた違和感を,帰国しても感じてしまうのだ.自分はどこに落ち着けば良いのだろうか,自問してしまう.長い旅を終えて,現実に戻ったけれど,まだ旅が続いている感じ.そう表現するのが適切だろうか.
 ふと,何でもないときに,なんでもないアメリカ生活の一光景が思い出され,とても懐かしくなる.かの地に戻りたい,というものでは決してないが,何十年後か,再び訪れて感傷に浸ることになるのだろう.

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- May 27, 2001

お父さんのピアノ練習曲

 実は最近,ピアノを始めた.妹から古いピアノを借り受けて, 4月から我が家にピアノがある生活になった.最近テレビのコマーシャルで, 2世代住居を始めた際に父親が嫁からピアノを習い始める,というストーリーが あるが,まさに身近にあると触ってみたくなるものである.私は中学高校でクラ リネットを吹いてはいたが,絶対音感がないことは明らかだっ たし,習う機会も無かったことで,ピアノは半ば諦めていた. 「もしもピアノが弾けたなら」状態だったのである.
 左手はもう動かないものと思っていたのだが,同じ曲を何度 も繰り返し弾いていると,だんだんと「なんとかなりそうだ」 という感じになってきた.今年の初め位に,娘に「猫踏ん じゃった」を教えた後に,さあ次はどうしようか,と思い,自 らキーボードで「きらきら星」から始めたのがきっかけである.
 5月の連休に,サティのジムノペティ1番に挑戦してみた.こ れは,僕が初めて買ったCDの曲でもある.(渋いでしょ.パス カルロジェのサティと,ベームのブルックナー4番が私のコレ クション第一号だった.12年前のことだ.CDプレーヤーを買っ たのはそれより半年後だったので,半年間はCDを眺めて過ごし たのだが).本屋に行ったら,「お父さんのピアノ練習曲」と しても人気があるらしい.(そういえば最近ブルックナーが演 奏会でも多く取り上げられているようなので,時代の変遷を感 じる.音楽現代の5月号はブルックナーを振るマエストロ特集 だった.)サティは,最近何とか途中で止まりながらも最後ま でできるようになった.2曲目にはショパンのプレリュード第8 番を選んでいる(かつての太田胃散のコマーシャル曲であ る).発表会の締切日もなく,自分の好きな曲だけをひたすら 練習できる,というのは,ある意味で極楽なエエトコドリかも しれない.多分に自己満足だとは思いながらも,左右の手が違 う動きをすることに感動すら覚える.次は,坂本龍一の NeoGeoに出てくるピアノ曲にしようか,パッヘルベルのカノ ンにしようか...
 かつて,アメリカで,音楽には素人の某会社社長が,一晩オー ケストラとホールを借り切って,それまでの夢だったマーラー を指揮したことがあるという.演奏は「素人」だった,と新聞 評にはあったが,これは趣味の最終形態として称賛に値する(聴 かされた人は同情に値するが).私もできれば,ブルックナー かチャイコフスキー,あるいはワーグナーを指揮してみたいの だが,もう何年かしたら,そんな体験ができるヴァーチャルな コンピュータソフトができるのだろうか.理研の同僚に話した ら,作ってくれるかな?

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- July 7, 2001

暑いときに暑いと文句を言う

 日本は暑い.蒸し暑い.数年ぶりにこの暑さの中にいると,思考能力が停止して いるのがときどき確認される.昨年までは乾燥した空気の中,しかもペンシルバニア の山の中でクーラーいらずの生活だったから,結構応えている.
 我が家には,一応クーラーが一台と扇風機が2台.そのうちの1台はアメリカで 購入した物で背の高さが130cm,ファンの半径が20cmという日本では考えられない 大きさの物だ(それでも買ったときは小さい部類だったと記憶しているが...). 昨年までは部屋の片隅において,広いリビングの空気を回転させていたものだが, 日本に持って来て初めて,この扇風機は上下に首の向きを変えられないことに気がついた. 床生活者には風が来ないのである.またひとつカルチャーショックだ.
 ピアノを置くために,苦労して探した分譲マンション(の,賃貸生活)暮らしではあるが, 慣れてきたとはいえ,狭さに今でも苦労する.六畳弱の一部屋は書斎と称して本棚7つ机に ファイルキャビネットを押し込めたのだが(我が家にはさらに本棚が2つ以上あるのだが), その書斎にエクササイズマシンを置いたら本当にスペースがなくなってしまった. 進入するには腹筋を凹ませなければならない.しかしマシンが恒常的に存在する生活は 憧れだったので,たとえさぼり気味であっても置いたままにしている.
 子供の部屋にはおもちゃ箱が積み上げられている.本当は勉強机を用意してあげたいが, 置くスペースがなくて教科書はリビングにある.本当は各自のベッドを置きたかったのだが, 実際は床に布団を敷く毎日だ.本当は食後にくつろげるソファが欲しいのだが,床に座布団である.
 暑いときに暑いと文句を言うのは簡単だ.今回はこの辺で終わりにしておく.

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  Go to 南アフリカ訪問記 ---------------- July 13-28, 2001

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- August 13, 2001

第二次世界大戦時の日本の原爆開発

 8月に日本にいると,先の戦争について読むことが多い. 先週末配送された物理学会誌には,戦時中日本がどの程度まで原爆の 開発をしていたか,科学史的分析が報告されている.理研における当時 のサイクロトロン研究がどの程度,原爆製造に近かったのか,という分 析でもある.以下概略.

第二次世界大戦時の日本の原爆開発
日本物理学会誌2001年8月号p584 by 山崎正勝(東工大社会理工学)

   理研の仁科芳雄らは,広島原爆の投下翌日には,TNT火薬2万トンの威 力とのトルーマン声明からそれが原爆であったことを察知した.すでに 原爆の威力がその程度であると独自の計算により認識していたからだ. ウランの核反応時間に対する認識は現実と数十倍の差があったが,これ は原爆の連鎖反応のメカニズムを正しく理解していなかったからだと思 われる.
 もし当時の理研の科学者が正しい理解を持っていたら,日本は原爆を 作ることができただろうか.日本にはウラン資源が欠如しているし,ウ ラン濃縮のための技術的な基盤も弱く,理論屋と技術者との交流もなか った.従って答えははっきりとNoである.
 仁科や武谷三男らの言動から推測すると,原爆の仕事は,軍に対して 理研の実験基盤を守るための「盾」であったと考えられる.「TNT火薬 2万トン」という魅力的な数字を出しておけば,研究体制が確保され, かつ兵役から逃れられたのも事実である.彼らは,日本での原爆製造が 不可能なことをはじめから知りつつ,日本敗戦となる日が来るのを待ち ながら科学者としての態度を貫いた,とも言える.

Nuclear weapons development in Japan during WW2
in Butsuri (Japanese Physical Society) vol 56 (2001) 584

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- September 9, 2001

住むところ

 最近,住居関係の本をいろいろ読んでいる.まだ,数年単位でしか職が確定せず, どこに落ち着くかも分からないから賃貸は当分続くのだが,同世代の家族がすでに住 むところを「所有」している現実を前にすると,なんとか先を考えておかなければ, とも焦る.
 今借りている部屋は分譲マンションの南向き角部屋だ.ピアノが置ける所,駅から 歩ける距離,公園・大きな図書館が近い,毎日通る道路に並木,日常の買い物が近く にあって自家用車が不要...といろいろ条件を並べて行き着いた所だ.学校が遠 い,消防署が近すぎる,歩道がきちんと分離していない,などの犠牲になった項目も いくつかあるが,とりあえず立地・環境とも申し分ない.けれども,子供が成長した ら手狭になるだろうし,高い家賃故,現職が終了したら住み続けられないだろう.
 いろいろ情報を集めてみると,ここのマンションでさえ,築4年にして中古価格が 買値よりは1000万円以上下がっているようだ.本当に納得できる住居でない限り,長 く続くローン生活に不満を抱くだけで人生が終わってしまいそうだ.住居の衝動買い だけはつくづく避けないといけない.
 欲を言えば,緑あふれる涼しい山間に,環境に考慮して建てられた広い住宅があ り,自然に親しみながら,文化的な生活を送りたいものだ.しっかりとした書庫があ り,大きな犬がいて,暖炉がある.アメリカの田舎の大学町なら手が届くかもしれな い....こんなこと考えているようでは,まだまだ先は長そうだ.

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- September 12, 2001

米国同時多発テロ事件発生

 悪夢としか言いようのない衝撃的なテロが発生して丸一日経った.航空機が世界貿 易センタービルに突っ込んだ,という第一報が11日夜10時(現地朝9時).日本では 首都圏を通過した台風15号のニュース一色だった.およそ20分後,CNNの映像が流れ るとそこには2番目の飛行機の激突,とテロップがあり,ニュースの解説者が混乱し ているのが第2報だった.その後,ペンタゴンも爆発,貿易センタービルの倒壊,も う一つのビルも倒壊,別の飛行機がピッツバーグ付近で墜落,激突・墜落した航空機はハイ ジャックされた機らしいことが判明,さらに航空機8機が行方不明...と前代未聞 のニュースが夜通し続いた.
 一日経っても,被害者が何千人なのか,どこのテロ組織なのか,全く分かっていな い.情報の錯綜は少なくなってきたが,事件の全体像がつかめない.数字が出ている だけで,ペンタゴンで800名死傷,貿易センタービルの救急隊員が300名不明,航空機 の乗員乗客266名絶望.ビル内に取り残されたのは何千人いたのか,崩壊に巻き込まれた のは...
 飛行機がビルに激突する映像,ビルが崩壊する映像を見るたびに,その瞬間に起こ った悲劇を思い心が痛む.先週からイスラエルで自爆テロが相次いでいたが,まさか これほどの規模のものがアメリカ本国中枢部で発生するとは...
 私の知り合いの一人は貿易センタービルの隣に勤務しており,2度目の爆発の後, 避難して無事だったそうだ.しかし人が落下するのを目の当たりにしてナーバスにな っているという.私にはウォール街で働く別の友もいるが連絡の取りようがない.ニ ューヨーク片田舎に住む妹夫婦は無事だったようだ.

 これまで本土攻撃を受けたことのない米国民の衝撃は測りしれないものだろう.経 済・軍事の象徴を破壊された米国民の世論は報復を求め,ブッシュ大統領は戦争へと 進むだろう.いや,すでに戦争は始まっているとも言える.テロの恐怖を身近に感 じ,目に見えぬ相手を恐れなくてはならないのは辛い.
 悲惨な映像を前にしてすぐに思い出したのは,ヒンデンブルク飛行船の炎上事故だ った.映画にもなったこの場面は,実況中継するアナウンサーの「..もしこの中に あなたの知り合いがいたとしたら...あなたの愛する人がいたとしたら...もう 言葉が出ません...」という慟哭で中断していた.しかし,この時でも死者は36人 だったのだ.

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- October 15, 2001

レフェリー制度

 旧石器捏造事件が,毎日新聞社のスクープで発覚しておよそ一年経つ. 「日本に数十万年前に石器を使う人類がいた」という学説を裏付ける遺跡 を次々に掘り当ててきた人物が,最近の再調査に対して,当初彼が白状した 以上の,これまでのほとんどの遺跡も細工だったと認め始めたらしい. 個人ひとりの嘘が,およそ20年に渡って信じられ,通用していた. 学説として定着しはじめていた前期旧石器時代が幻になったばかりか,多くの人の信用や夢を失う ことになっている.大変残念な事件である.
 「何故,学会が批判の議論の場として 機能していなかったのか」 これが,第一報を聞いた私の疑問であった.某考古学者に言わせれば, 発掘現場では複数の目撃者のいるところで出土したものは信じるしかない, とか,今回の場合は出土品は発掘者の元に管理されたので,一般の研究者に じかに触れられることが少なかった,とか,いろいろ 言い訳はあるらしい.しかし,マスコミ受けする「大発見」に踊らされて いたのも事実であり,学会として虚報告を疑う姿勢が足りなかったのは否めない.
 サイエンス分野では,学術論文には必ずレフェリー制度があり,論理的におかしい 結論は,雑誌掲載前に一度は専門家によってチェックされる.例え間違った 結論が掲載されたとしても,必ず後世の人によって否定・修正されることが 前提となっている.実験や計算結果ならば追試実験は誰でも可能である. 議論の土壌に科学の普遍性があるからだ.考古学では,それが難しいかも しれないが,今後,より科学的手法を取り入れた,オープンな議論をして もらいたいものである.
 論文を書く側にとって,レフェリー制度があることは,かなり妥当な 心理的ブレーキになっている.以前,インターネット上でプレプリントサーバが 稼働し始めたとき,学術雑誌の不要論が取りざたされたこともあった. (プレプリントは,著者が書き上げた時点で,自由に世界にその原稿を配信 することであり,自己の業績を素早く宣伝する意味がある.)現在我々は(私の 研究分野では),毎日配信されるプレプリントに目を通さないと研究に追い つけないことは事実であるが,論文が査読されて掲載される,というプロセスは 依然として重要である.オンライン化が進んで学術雑誌の統廃合は進むかも しれないが,査読制度がなくなることはないだろう.
 最近よく私のところにも,論文のレフェリーが回ってくる.月に1つは あるだろうか.匿名とは言えこんな若輩者が,レフェリーしていいのか不安に なるが,中には私にしか判定できないものもある. 全く手に負えない分野のものは断ることにしているが,自分の勉強になること も考えて一応は手がけている. 手間がかかり,時間もとられ,特に報酬があるわけではないが, これが現在私にできる社会貢献の一つであることは確かだからだ.

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Go to 韓国初訪記 ---------------- October 21 - 30, 2001

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(f^^) His Comments (@_<) ---------------- December 4, 2001

ノーベル賞30人計画 ?

 『50年でノーベル賞30人』とは,一国の政府が掲げる政策としては,何とも品のない,場当たり的な数値目標だ.初めて聞いたときにもそう感じたし,今日のニュースを聞いてその思いをまた新たにした.日本学術会議が,全額負担でノーベル賞選考委員会や財団の代表を日本の「ノーベル賞100年記念フォーラム」に招待するのだという.ニュースは,その招待に賄賂性を感じた財団側の苦慮を報じていた.
 ノーベル賞は,ノーベルの意志に沿って設けられた私的な賞であり,必ずしもすべての学問分野を網羅しているわけではない.先見かつ独創性のある仕事をした研究者を選考していることはたいへん結構なことではあるが,その選考過程は50年間伏されているし,明確な基準がないために,常に憶測が飛び交ってしまう.政府関係者は,2年連続で日本人がノーベル賞を受賞したことに沸き立っているのかもしれないが,当の野依氏も数値目標を批判しているのである.大切なのは,独創性を育む教育にあると.
 ノーベル賞を目指すことは悪いことではないが,それが総てと考えられてしまうような数値目標は即刻撤回すべきだ.その代わり,政府がノーベル賞に匹敵する位の,より厳格な賞を創設すればいいのではないか.本当は世界に門戸を開いた賞が望ましいと思うが,とりあえず「国民栄誉賞」的なレベルで,日本人を対象にした「世の中に役立ちました賞」とか「独創的な学問を進めました賞」から始めるのはどうだろう.
 よく言われることなのかもしれないが,昨日出席した研究会で,国立天文台の 渡辺潤一氏が述べたコメントが印象深い.彼は,アマチュア天文家の参加を促して, 天文学のプロジェクトを進めることに積極的に取り組んでいる.「icsで終わる学問 (mathematics, physics, ...) は純粋科学で専門家にしかできないが,yで終わる学問 (astronomy, chemistry, biology, archaeology, ...) はその限りではない」. 「独創性促進賞」を一般人対象にまで広げれば,一発屋を目指す人間だって登場するだろう.それでいいのではないか.

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Last Updated: 2001/12/31
by Hisaaki Shinkai