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ペンステートの1年8カ月を振り返って [研究編]

(1999.8-2001.3)

以下の文章は,天文月報 2001年4月号(日本天文学会誌)の『海外の研究室事情』に 掲載されるものと同一です.この文章の著作権は,日本天文学会にあります.

ペンシルバニア州立大学 重力物理と幾何学センター
http://gravity.phys.psu.edu/

 日本学術振興会の海外特別研究員として,99年夏にここ, アメリカ・ペンシルバニア州ステートカレッジに移り,2年間は 居座るつもりであったが,縁があって日本に帰国することが 決まりあたふたとしている.この山間の小さな町は,とても住み 良く,のどかで,若い学生も多く,周りの人々にも恵まれ,よい 思い出ばかりである.

 将来,私と同じようにここを訪れようとする人も多いと思い, 世話になった『ペンシルバニア州立大学 重力物理と幾何学センター』 について私の印象を記しておこうと思う.(なお,町や大学そのもの については,同じく海外学振で宇宙物理学科に来ていた前田・坪井両氏 が昨年度の天文月報7月号に寄稿しているのでそちらを参照されたい).

 『重力物理と幾何学センター(Center for Gravitational Physics and Geometry,以下略してCGPG)』は,量子重力の業績で広く知られる Abhay Ashtekar氏が所長となり,94年に設立した新しい研究所である. 実質上は物理学科の建物の中に独立した部屋群がある.設立当時アシュテカ氏 がシラキュースから移ったときも世間を賑わせたのかもしれないが, 私が到着した99年夏は,ちょうど彼がドイツ・ゴルムのアインシュタイン 研究所(AEI)からの招聘を蹴ってここペンステートに残ることを決めたとき でもあり,カウンターオファーをかけてよりよい条件を得たらしく(某教授談), CGPGの床面積がほぼ倍になった時であった.(噂によれば,このグループの 他のスタッフもカウンターオファーをもって自分の年棒を上げているとか...).

 その夏の新学期の彼の挨拶が印象的であった.メンバー全員を前に, AEIとCGPGの比較を行い,「ここはAEIの10分の一の予算しかないが 論文出版数は数分の一の比に迫る」「ここは量子重力(数学的相対論)・ 古典相対論(数値相対論を含む)・重力波実験の3つの分野の融合がAEIより はるかに機能的に行われている」と力説し,自分がペンステートに残った理由 を「一般相対論研究に関するあらゆる分野の研究者が気楽に一同に会せる場 を維持するため」と述べ,メンバー全員にその期待に応えるよう促したのだった.

 実際,学生も分野にとらわれず興味を多方面に広げている.ここで学位を 取った学生は,ポスドクとしてここには残らないことが不文律になっており, 量子重力を専門にしていても皆その超専門性を意識しているので,古典重力 でも仕事をする,という具合である.

 CGPGで現在レギュラーに顔を出すスタッフは,アシュテカ氏の他, Jorge Pullin(彼の名はホルヘと読む),L. Sam Finn, Gabriela Gonzalez,Lee Smolin(現在サバティカル), 宇宙物理学科のPablo Laguna,数学科のDoug Arnoldらである. Roger Penroseも年に数週間滞在する.

 CGPGでは週2回全員出席するセミナーがあり,内部や外部の人間が 1時間話を行う.トピックは上記3分野全域にわたるので,自分のカバー しない分野でも,どんなテーマが今話題になっているのか耳学問が増える. 逆に1年に1-2回は自分の番が来るので,そのペースで新ネタを用意する 義務を感じる.この週2回のセミナーは,すべてのスライドがコピーされ, 講演の録音と共にCGPGのホームページで公開されている.こういうサポート に熱心なのはプリン氏である.最近セミナー室にwebカメラとweb黒板 (正式な名称は分からないが,黒板上で書いたり消したりするとそれが web上の画面で反映される)も装着し,他大学との電話コンファレンスの際に, こちらの議論がよりスムーズに伝わるように工夫している.

 私の研究分野は,現在のところ,一般相対論を数値計算する際の 背景数学と言える.この数値相対論分野に関しては,プリン氏とラグーナ氏が 中心となり毎週別にセミナーが設けられ,ユタ大学・テキサス大学などと 電話で結び,その時に面白そうなトピックを話し合う.アシュテカ氏も 出席し,話がいつも原理的な数学問題に引き戻されて紛糾するのが, なかなか面白いところである.月に一度は,AEIのグループと電話をつなぎ, 腹のさぐり合いもしている.同様に量子重力・重力波データ解析の小グループでも ミーティングを毎週開いており,さらに宇宙物理学科や物理学科の共通コロキウム にも出席しようとすると,自分の研究時間がなくなるほどである.

 ここでのポスドクは,自己の研究にかなりの自由度があるようだ. これは私の経験からすると特殊にも思える.アメリカのポスドクは たいていボスが特定の予算を取ってきて,ポスドクを「雇う」形に なるので,特定のプロジェクトに組み込まれるのが普通である. ここでもその傾向がないことはないが,それでも自由度があるということだ.

 学振で研究所を訪ねるということは,基本的にはビジターである. 受入先のボスが研究テーマをくれるわけではない.この機会を生かすも 殺すも本当に自分次第だと痛感した.私はアシュテカ変数を使って, 数値計算を実現するという当初の目的の一つを実現できたが,それを アシュテカ氏に報告したときの彼の「マーベラス」という一言が忘れ られない.(彼は基本的には詳細に立ち入らずエンカレッジしてくれる 立場であった).また,数値相対論の分野では,グループごとに歴史を もった数値コードが存在するが,ビジターの身分でそれをいきなり 使わせてくれ,といえるほど私は大胆ではなかった.しかし幸いペンステートの グループでは3次元ブラックホールの数値コードを最新版のカクタスコードを ベースに作り直す,という作業が始まり,私もそれに参加することができた. 将来的に共同研究が続きそうである.

 いかんせんステートカレッジの町は,大学を中心とした小さな町で,他に 娯楽がないために,週末もメール議論が突発的に起こる.土曜の夜にメール を開けたら,自分のトークがいきなり月曜10時に設定されていた,という ことも2度ほどあった.夜遅くまで人が出入りし,逆に,午前中はほとんど 人がいないこともある.これを私がstrangeと発言したことに対して, 秘書のカレンさんは言葉を選び,「このグループの人はspecialです」と 形容していた.カレンさんはCGPGを一人で取り仕切り,年間数十人にのぼる ビジターをさばく有能な方である.若くて美しい方であるが2児の母でもある.念のため.

 長期間海外に出ることにはメリットもデメリットもある.慣れるまでの 生活面の苦労はあるものの,海外の同業研究者との交流が密に得られる ことは,その苦労に勝ることだ.英語の問題で悩む人も多いかもしれないが, 誰しも方言があるものなので気にすることはない.慣れてくれば,なんとか 通じるものである.私は多くの後輩に,海外経験を勧めたい.

真貝寿明(4月より理化学研究所,基礎科学特別研究員)

---- 図の挿入一つ
CGPGの共通ロゴ リンゴとGとQの字の重ね合わせ.Pullin氏作. グループに長期滞在するとロゴ入りのマグカップがもらえる(かもしれない).

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Last Updated: 2001/3/2
by Hisaaki Shinkai