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食べる速さ/心地よい雑然さ


食べる速さ(前座)

 一足早く家族が帰国し,最小限のものしかない家の中では,PowerBookに向かうこと以外にすることがない.必然的にエッセイ他の情報発信量が増える.池内了さんが単身赴任生活で本を書きまくっているのと同じ状況である(勝手に同じにするなって).
 ちなみに池内さんは食べるのが早い.一度だけ東工大近くの定食屋で同席したが,あれだけしゃべりながら,あっという間に食事を終わらせる人を,僕は他に知らない.
 かくいう私も,食べる速さは早いほうだ.大学時代数年間,私と学食を共にした成井君は,食べるのが遅かった.いつも「成井早く食えよー」と私に急かされていた彼は,一度だけ密かに全速力で食べ,僅差で僕に勝ったことがある.それが彼にとっての自慢であった.
 食べる速さが同じかどうかは,結婚相手を選ぶときに重要だと言われる.私の妻は,初めて私の実家を訪問するとき,会社の同僚に「あなたは食べるの早いから,気を付けなさいよ」と忠告されたそうだ.気を付けながら,緊張しながら初めての会食に挑んだ彼女は,ふと気づくと,私の一家が父を除いてみな食べ終わっているのを発見し,目が点になったという.我が家は「おいしいものは先に食べよ」という教育方針であった.
 ...今日はもっとまじめに,アメリカ生活をまとめようと書き出したのだが,全然違う話になってしまった. (2001/3/6)


   

心地よい雑然さ

 日本への帰国が決まって,アメリカ生活に感傷的になっていたこの数ヶ月であるが,いよいよあと2週間を切った.一足早く家族が帰国し,最小限のものしかない家の中では,PowerBookに向かうこと以外にすることがない.必然的にインターネット回遊の時間が増える.しばし,自分のページを読み返す.4年半の間いろいろあった.その時々の自分が思い出される.懐かしい.

 一度,見知らぬ読者の方から「だんだんアメリカの生活に慣れてゆく様子が読みとれて,勇気づけられます」とコメントをいただいたことがある.確かにそうかもしれない.このころは頑張っていた,あのころは必死だった,...自分の文章でさらに感傷的になっているのだから世話がない.

 住めば都とはいうが,(ステートカレッジは,住んでも田舎であるが),アメリカ生活もその雑然さ・いい加減さに慣れてしまえば,それがまた心地よくなってくる.とにかくいろんな人間がみな勝手な格好で勝手に暮らしているのだ.これが自分流,と自分を貫き通せれば,それでOKなのである.

 アメリカ生活に,日本並みの完璧さを求めてはいけない.注文したものがきちんと来て,問題がなければそれはラッキーだった,と思わなければならない.自分の主張はかならず通さないと損をする.クレームはつけないといけない.提供されたサービスは,それが受けられるまできちんと自己申請しなくてはいけない.そのハードルさえ乗り越えれば,あとは楽勝なのだった.

 僕の生活は,基本的には大学と自宅を歩いて往復する,というだけのものだった.基本的にずっとコンピュータの端末前に座っている生活だった.家族で旅行をしたのも数回にすぎない.とてもアメリカを語るだけの経験はしていない.だからこの「心地よい」超越感に達するまでに4年という年月が必要だったのかもしれない.2年程度の滞在では,この国に慣れるか慣れないかという問いかけで終わりだったろう.

 印象的だったのは,どこでも意欲的に行動している人を多く見たことだ.アメリカ人の遺伝子は,かつての開拓者の血が元になっているのでそれだけ活動的なのだ,という話があるが,それは嘘ではない.むしろ,今でも世界中から意志を持って続々と人間が集合してくるところが,アメリカの最大の活力なのだ.人より一歩でも進み,成功を良しとする土壌.何か一つ大きな仕事をしてやろうという意欲.開拓者精神は,今もどこかで必ず健在なのである.

 また,集会などで「何か質問はありませんか」と壇上の人が問いかけると,聴いている子供も大人も必ず何か質問をする,という状況も初めは新鮮だった.先日,日本の小学校の入学説明会に出て,同じ場面で全く沈黙してしまう日本人を見て,そういえば日本人は静かだった,と思い出した.

 思い出すのは,10年前,IAESTEで派遣が決まった仲間達のことだ.IAESTEは,理系の学生を数ヶ月海外に研修体験をさせる交換プログラムである.合格した学生一人一人が別々の大学や企業に派遣され,給料をもらいながら異文化を体験する,というものだ.参加していた仲間はみな異常なほど積極的だった.IAESTE側から説明会が終了したとき,「何か質問はありませんか」とお決まりの終了挨拶があると,質問が続出したものだ.このときの意外感がふとよみがえる.(今でも連絡をとり続けている仲間は少なくなってしまったが,きっとみな開拓者精神で活躍していることだろう.)

 この4年半の体験を文章でまとめるには,まだ心の整理がついていない.今Debbie GibsonやEnya, Billy Joelを聴くと10年前の学生時代がほろ苦く思い出されるように,ずっと先,Shania TwainやFaith Hill, Celine Dionを耳にすれば,今の生活を懐かしく思い出すことだろう.(しかし何故ステートカレッジにはクラシックのCDを売る店がないのか. うっかりカントリーに詳しくなってしまったではないか.)  

 少なくとも,「異国に住んだ」という事実が,「単に年月が過ぎただけ」として終わらないよう,この間に得られた人とのつながりや,自分や家族の成長を今後も大切にしていきたい. (2001/3/8)

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Last Updated: 2001/3/8
by Hisaaki Shinkai