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セントルイスの2年9カ月を振り返って [生活編]

(1996.11.4-1999.7.31)

日本の本屋で手に入るほとんどのアメリカ滞在記は,「ア メリカに来て,こんなに楽しかった.いい経験だった.」 という路線でまとめられている.文化の違いはあっても, それを乗り越えて昇華した人たちが自分の喜びを綴ってい るので,夢と希望を読者に与える本になる.だが,実際に は,「アメリカに来て嫌な思いをたくさんした」人もかな りいる.そういう人は本を書かないから,日本人のアメリ カ生活幻想は偏ることになりかねない.
先日,日本の古本屋で「しんどかったアメリカ滞在」とい う本を見つけた.これは珍しく後者の人間が綴ったものだ. 察するにこの著者は研究者として1年間ミネアポリスの田 舎に滞在した人のようだ.そうそうあるある...と読み 進める内に考え始めたのが,「僕は本当にアメリカ生活を 楽しんでいるのかどうか」という点だ.

初めの1年は,日常生活のささいなことに戸惑いながら, あるものは許容し,あるものは拒絶し,アメリカ生活にお ける自分の境界線を引く作業が続いていた.2年目以降は, 季節感が予測できることもあり,アメリカの風習にもやや 慣れて,少しばかり心理的余裕のある暮らしになった.子 供が保育園に行くようになったこともあり,3年目は,季 節ごとに訪れる行事に,生活者として自然に組み込まれて いる自らに気づく.
3年も経つと,アメリカ生活がすっかりと日常になりかわっ ているために,「生活を楽しんでいるかどうか」という疑 問自体が,成り立たないのだ.人に聞かれれば「楽しんで います」と答えるだろう.確かに毎日苦労しているわけで はない.日頃,買い物する何軒かの店が決まり,週末を過 ごす場所におおよそ目星がついてしまえば,自らのテリト リーの範囲内で移動しているだけなので冒険はもう存在し ない.危険といわれている場所には踏み込まず,ローカル な日本人社会のしがらみにも巻き込まれなければ,いたっ て快適な生活である.

大学に出入りしているせいもあり,付き合う人間の中で, アメリカ生まれの人というのは少数派だ.機会均等採用主 義を掲げて能力主義の人事を行うとアメリカ産以外の頭脳 が集まってしまう,ということなのかもしれない.思うに, 雑多な人種の集合体の国の特徴が一番でているのが大学周辺 だろう.だから,東洋人でいることの不自然さは全く感 じられない.

「日本に帰りたいか」という質問をされたら,どう答える だろうか.強いドルが世界各地から安い物を提供してくれ て,アメリカでの日常生活費は日本よりとても少なくて済 む.緑に囲まれた広い住環境はどこを見ても日本より恵ま れている.日本の同志と同じ位の給料をもらっていても, 子供二人と無職大喰らいの可愛い妻の家族を養っていける のは,アメリカにいるから,という理由が一番かもしれな い.この点からいえば「まだ日本に帰るのは惜しい」.
インタ−ネットの発達で,欲を言わなければ,情報に枯渇 することもない.日本語の新聞がリアルタイムで読めるこ とだけとっても,一昔前とは「海外生活」に格段の違いが 感じられる.気分的には確実に楽になっている.

あと2年アメリカで過ごすことになった.違う町に住むこ とになり,改めてセントルイス生活との違いが味わえるよ うになった.だが自分にとってうれしいのは,しばらくは 「慣れた国で」生活する安堵感があり,自分の仕事に集中 できそうなことだ.
2年後の職がどうなっているのかは,今のところ検討がつ かない.好きな仕事が続けられるのなら,どこの国でも良 いのではないか,と思い始めたこの頃である.しかし日本 でいい職(女子大教授とか)があれば,しっぽを振って, 日本に帰るに違いないのだが.

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Last Updated: 1999/9/6
by Hisaaki Shinkai