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1905年は,現代物理学の幕開けとされている. この年,26歳のアインシュタイン Einsteinが,3本の革命的な論文[1][2][3] を発表したからである (この年,Einsteinは学位論文「分子の大きさの新しい決定法」を含めて5本の論文を 書いているのだが,普通,3つの異なる偉業を讚えて,3本の論文と称される).発表順に内容を見ていくと次のようになる.
1905年のEinsteinの業績は, Newton以来築かれてきた物理学的世界観が「古典物理学」と称されるようになり, 量子力学(完成したのは1925年)と相対性理論(完成したのは1916年)を基礎とする「現代物理学」が幕を開ける契機となった.
- 光電効果の理論 [1]
論文の原題は『光の発生と変換に関する一つの発見的な見地について』輻射体から放出される電磁波のエネルギーは離散的であり,輻射の振動数に比例する,という プランク Planckによって発見された実験事実および彼の量子仮説は, 当時の物理学では満足のゆく説明ができないものであった. EinsteinはPlanckの量子仮説を用いて, 光(電磁波)を金属に当てることによって電子が飛び出す現象(光電子)において, 光電子のエネルギーの値が,当てる光の振動数と飛び出す閾値との関数で与えられること (光電効果)を予言した.Einsteinの予想は,1916年ミリカン Millikanの実験によって正しいことが示された (得られたPlanck定数がPlanckが空洞放射から得た値と良く一致していた). 光電効果の理論はその後の量子力学の発展の基礎となり,1921年のノーベル物理学賞受賞の功績となった.
- ブラウン運動の理論 [2]
論文の原題は『熱の分子論から要求される静止液体中の懸濁粒子の運動について』この論文の目的は,「ブラウン運動をする粒子の運動を測定することによって, 原子(または分子)の存在が結論づけられる」ことを示すことだった. 当時,物理学者の間でもコンセンサスが得られていなかった原子論が,実験によって 決着できることを述べたのである. 論文中では,Newton力学の現象論(物理的考察)と ランダムに動く粒子に対する確率過程論(数学的考察)を併用し, 理論の検証として「粒子の平均2乗変位」が観測可能な量であると結論した. この予言は,フランスの物理化学者ペラン J. Perrinによって,1908年に実験確認され, 原子の概念がゆるぎなく確立することになった.ちなみに,博士論文は,このブラウン運動に関するものであり, アインシュタインの論文のなかで最も引用度が高いのは,博士論文であるという.
この成果は,その後の物理学で,より小さな粒子の発見への足がかりとなった ばかりではなく,確率過程という数学理論への発展を促した. (米沢富美子,「原子の実在を証明 ブラウン運動の理論」,数理科学 2003年10月号 p.31-37)- 特殊相対性理論 [3]
論文の原題は『動いている物体の電気力学』この論文は,電磁気学の基本式(Maxwell方程式)のもつLorentz変換不変性と, Newton力学のもつGalilei変換不変性との不整合問題を解決する手段として書かれた. 当時は,光を伝える媒体としてエーテルの存在が仮定されており,そのために生じる理論と 実験の矛盾があちこちに出ていた.矛盾を解決するために,「物体の長さは,運動する方向に に縮む」あるいは「観測者の時計が刻む時間間隔(固有時間間隔)は長くなる」 というLorentz-Fitzgerald収縮仮説が出るほどであった.
Einsteinは,この問題を原理的な面から考え直し,2つの簡単な仮定によって, すべてが説明できることを示した. すなわち,『特殊相対性原理』(物理法則は,すべての慣性系で 同一である)と,『光速度一定の原理』(真空中の光の速度は, すべての慣性系で等しい)である.
この理論は,時間と空間の概念が互いに絡み合いながら変換される,すなわち時間も 空間も相対的である,という結論に至る. 時間の進み方は,観測者によって異なり,全宇宙で必ずしも同期して時間を刻む 必要はないのである.また,4次元運動学より,質量とエネルギーの等価性も導き出されることになる. 有名な E=mc^2 の公式は,1905年9月27日に投稿された論文『物体の慣性はその物体の含むエネルギーに依存するであろうか』(Annalen der Physik (Germany), 18, 639-641)で導かれている.
人類の時空の概念を大きく変えたこの革命的論文は,当時その重要性がすぐ認識されることはなかったが, その後に続く一般相対性理論の構築や,量子電磁力学の発展の基礎となり,現代物理学では 確固たる地位を築いている.なお,「特殊」相対性理論というのは,後に「一般相対性理論」が提出されてから区別するためである. なお,アインシュタイン自身は,1915年の一般相対性理論構築までの間は,「理論」とは呼ばず「原理」と呼んだ. すなわち単に「相対性原理」.(拙著,「数理科学」(サイエンス社)2003年12月号『質量とエネルギー』もご参考のこと)
[1] A. Einstein, Annalen der Physik (Germany), 17, 132-148 (1905).
[2] A. Einstein, Annalen der Physik (Germany), 17, 549-560 (1905).
[3] A. Einstein, Annalen der Physik (Germany), 17, 891-921 (1905).
3つの論文ともドイツ語.1905年,Annalen der Physik誌は3巻発行されているが,驚くべきことに,3つの論文は同じ第17巻に掲載されている.論文の投稿された日は順に1905年3月18日,5月11日,6月30日と記載されている.
なお,原著を日本語訳したものもいくつかある.もっとも標準的なものとして
湯川秀樹監修,中村誠太郎・谷川安孝・井上健訳編「アインシュタイン選集1」(共立出版,1971年)