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Albert Einsteinの間違い

Hisaaki Shinkai

「弘法も筆の誤り」「猿の川流れ」「河童も木から落ちる」というが(ちょっと違った?),Einsteinも誤った結論に至ることがあった. ここでは,歴史的に知られているEinsteinのミスを,おさらいしておこう.決して「Einsteinは間違っていた」などと 宣伝するつもりはなく,このような思考過程から学ぶことが多いと思うからである.以下はEinsteinのすべてのミスを 紹介するものではない.最近の文献に,Weinberg [1]がある.

一般相対性理論:宇宙項の存在

一般相対性理論の完成(1916)後,Einsteinは宇宙全体の構造について考察を始めた. 宇宙は全体として一様で静的である,と仮定すると,一般相対性理論は,そのような解を許さなかった. 彼の審美的センスでは 宇宙は未来永劫不変の定常宇宙であるべきだった.そのためには,引力である重力に 抗する斥力の存在が必要である.そこで,一般相対性理論の式に,斥力に相当する 宇宙項 $¥Lambda$ (cosmological constant)を 1917年に付加した.

当時,宇宙が膨張しているという確実な観測事実はなかった.1917年にde Sitterが宇宙項を含めた Einstein方程式で解を発見した際は,計量が時間に依存しないように注意深く座標系が選ばれていたが, この解が実際には静的ではないことも問題となった.1922年には,Friedmannが元の宇宙項を含まない式から 膨張宇宙モデルを提唱した.EinsteinはFriedmannのこの論文を査読し,「計算間違いであり,掲載不許可」と したという.1927年,Friedmannとは独立にLemaitreが宇宙項入りで膨張宇宙モデルを導いた際も,Einsteinは 「計算は間違いではないが,こんな解を信じるあなたの物理的見識は忌まわしい(Your calculation is correct, but your physical insight is abominable.)」とLemaitreに冷たく対応した,という.

観測的に,宇宙膨張が裏付けられるのは,Hubbleが遠方の銀河の 赤方変位が距離に比例して増加していること(光のドップラー効果)を1929年に発表,1931年に実証してからである. ようやく,Einsteinは膨張宇宙モデルを受け入れ,後年「宇宙項の導入は生涯最大の過ち(Introduction of cosmological constant was the greatest blunder of my life.)」とGamowに語ったという.

Einsteinがこだわった宇宙項導入による静的宇宙モデルは,実は不安定解で,未来永劫に不変な宇宙が必ず支持される わけではなかった.Einsteinが取り下げた宇宙項は,現在の宇宙観測では宇宙の加速膨張を引き起こす謎の物質「ダークエネルギー」として 便宜的に取り入れられており,実質的に復活しているのは皮肉な話でもあり,Einsteinが宇宙項を否定したことが再び間違いだったとも言える. 参考文献として [1]-[3]を挙げておく.

量子力学:確率解釈

量子力学と相対論は現代物理学の柱である.量子力学の誕生の契機を与えたのが,Einsteinの1905年の光電効果に関する論文であったのにも 関わらず,Einsteinは,その後1925年にSchroedingerとHeisenbergによって完成された量子力学の基本原理である「確率解釈」を受け入れず, 有名なEinstein-Bohr論争を引き起こした. Bohrは,量子力学のコペンハーゲン解釈を統括する立場である.1927年のソルベイ会議から1930年代に 至るまでの大論争で,物理の理論の決定論的性質を信じるEinsteinは,物理法則が実験結果の生じる確率しか与えないとする考え方に反対し, 「神は宇宙とさいころ遊びをしない(God does not play dice with the Universe.)」という有名な言葉を残した. 歴史的に,量子力学は次々と成功を収め,Einsteinは間違った立場にいたことが判明する.

しかし,この論争は,量子力学の理解に非常に良い貢献をした. 例えば,Einstein-Podolsky-Rosen のパラドクス (EPRパラドクス) [Phys. Rev. 47, 777 (1935)]は, 「量子力学的に相関のある(互いに異なるスピンを持つ)2つの電子を距離を離して観測した場合,一方を観測すれば, 他方のスピンも決定されてしまうので,情報伝達が光速を超えてしまう」という,思考実験による問題提起である. (この問題に対する解釈は,「量子力学の確率解釈における確率は前提とする知識によって異なるが, それを同一視したことが、光速以上で情報が伝達されたように見えた原因」と説明すること.現在では実験的に確かめられているので, EPRパラドクスではなく,EPR相関と呼ばれる).

文献[1]では,EinsteinもBohrも,どちらも量子力学の本当の問題に 焦点を当てていなかった,と述べられている. コペンハーゲン解釈では,観測者が測定をした時の結果を確率で導くが,観測者も観測行為も 古典的に扱われる.波動関数は決定論的に発展しているとして扱う. 量子力学が確率論的であることは受け入れなければならない事実だが, 同時に量子力学は決定論的な力学でもある.双方を両立させた明確な理解は,現在でもまだなされていない.

一般相対性理論:重力波の存在

このエピソードは,文献[4]にある.

Einsteinは,一般相対性理論の完成後,数ヶ月後には重力放射(重力波)という概念を導入した.電磁放射とのアナロジーから 非常に自然と思われていたため,1930年代には多くの科学者がその存在を原理的には信じるようになっていた. しかし,Einstein自身は,「重力波は存在しない」という論文をRosenと共に執筆し,1936年にPhysical Review誌 に投稿した.

Physical Reviewの編集者は,1ヶ月後,査読者による10ページに及ぶ間違いを指摘するレポートをEinsteinに返送する. 自らの論文が査読者に渡り,かつ再考を促されたことに対してEinsteinは激怒し,投稿を取り下げ,以後Physical Review誌に 論文を投稿することはなかった,という.当該論文はその後,フランクリン研究所紀要に投稿され,直に受理されたが,著者校正の 段階で,結論が180度変更されることになったという.現在では,「重力波は存在しない」との結論に至った論文原稿は 存在していないらしいが,平面重力波の厳密解研究から,Einstein方程式が特異性のない周期的な波動解を全く持たないことが 示されるので,この事実を根拠に重力波を表す解が存在しない,と導いたのではないか,と考えられるという.(今日では 平面重力波の厳密解では,座標特異性が存在することが知られているが,当時は座標特異性と物理的特異性を区別する手法は 確立していなかった.)

編集者はTate,査読者はRobertsonであったことが[4]で述べられている.Robertsonは,Einsteinが査読レポートに 拒絶反応を示したことを知り,Einsteinの助手Infeldに,論文の誤りを指摘したという.InfeldがEinsteinに,この話を 伝えたことが,著者校正時に結論が変わった理由だと考えられるらしい.つまり,Robertsonは,論文査読を行い, なおかつ誤った結論のままEinsteinが論文を出版して不名誉になることを,別の手段で穏便に阻止したことになる. Robertsonの論文査読は依頼から11日で返送されていたという.

 

以上から,学ぶべきことをまとめると,次のようになるだろうか.

 

参考文献
[1] S. Weinberg, Physics Today 58 (2005-11); (パリティ, 21 (2006-6) に邦訳あり.訳:向山信治 )
[2] 佐藤勝彦, 数理科学 41 (2003-10)
[3] 真貝寿明, 数理科学 41 (2003-12)
[4] D. Kennefick, Physics Today 58 (2005-9); (パリティ, 21 (2006-5) に邦訳あり.訳:小玉英雄 )

Last updated: 2006/8/22
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