【基礎物理】カイラル対称性の自発的破れを計算で実現

高エネルギー加速器研究機構(KEK)は,京都大学などとの共同研究の成果として,量子色力学(QCD*1)における自発的対称性の破れの現象を厳密な計算機シミュレーションにより世界で初めて実証した,と発表した.

これは,物質の質量の起源*2として考えられているカイラル対称性*3の自発的破れ*4と呼ばれる現象を厳密にシミュレーション計算したもの.1998年にノイバーガーによって提案されたオーバーラップ・フェルミオン*6と呼ばれる格子QCD理論*5を用いての初めての計算結果だという.計算の結果,これまで期待されていたように,量子色力学が自発的カイラル対称性の破れを引き起こすことが確かめられた.計算は,2006年3月にKEKに導入された国内最速クラスのスーパーコンピュータ「IBM System BlueGene Solution」を用いて行われた.

*1 量子色力学(QCD):クォークの相互作用の基礎理論.時空のあらゆる点に連続的に分布するクォーク場とそれらを結びつけるグルーオン場で書かれ,無限個の自由度を含む非線形方程式で理論的に厳密に解くことは難しく,21世紀の数学7大難問の1つとされている.

*2 物質の質量の起源:現在の素粒子理論では,すべての素粒子は本来質量をもたない.クォークが質量をもつ仕組みには2段階あり,1つはヒッグス粒子の関係するヒッグス機構,もう1つがカイラル対称性の自発的破れである.前者が物質の質量の2%をあたえ,これを種として後者が残りの98%をもたらす.

*3 カイラル対称性:質量ゼロの粒子がもつ対称性で,粒子のスピンの右巻きと左巻きとに区分される.粒子のスピンは光速で飛ぶ場合に厳密に定義され,粒子の固有の性質と見做される.

*4 カイラル対称性の自発的破れ:南部陽一郎氏(シカゴ大名誉教授)が1961年に超伝導の理論にヒントを得て提唱した.超伝導のBCS理論では,上向きスピンをもつ電子と下向きスピンをもつ電子がペアを作って金属中を埋めつくす.ペアとしての運動では電気抵抗をゼロにするほどスムースに動けるが,個別の電子は実効的に大きな質量をもつ.南部氏が量子色力学において提唱したのは,クォークと反クォークの対が宇宙全体を埋めつくす(宇宙の超伝導状態)ことによりカイラル対称性が破れ,個々のクォークが実効的に大きな質量を得る,というアイデア.スムースに動けるペアとしての運動は比較的軽いパイ中間子として解釈される.

*5 格子QCD:QCDを4次元の格子状の時空で定義した理論で,自由度の数が有限になるので計算機によるシミュレーションが可能になる.

*6 オーバーラップ・フェルミオン:従来の格子QCDの計算手法では,カイラル対称性を格子上に実現できないという理論的な問題があり,量子色力学の最も重要な性質の1つであるカイラル対称性の自発的破れという現象を直接取り扱うことができなかった.1998年にノイバーガーが提案したオーバーラップ・フェルミオンは,この問題を理論的には完全に解決するもので,厳密なカイラル対称性をもつ.ただし,必要な計算量が通常の100倍以上になるために,シミュレーションへの本格的な応用はなかなか進まなかった.

2007/4/24 高エネルギー加速器研究機構 プレスリリース 「量子色力学における自発的対称性の破れを厳密に実証」
2007/4/24 朝日新聞 「物質になぜ重さある?」 高エネ研などが仕組み検証