【2007年】サイエンス誌「10大ブレークスルー」

米科学誌サイエンスは,12月21日号で,科学界の2007年の画期的成果「Breakthrough of the Year」を発表した.

1位 ヒトの遺伝的多様性の解明の進展 (Human Genetic Variation)
 個体ごとに異なるゲノムの多様性が疾患や個体の特徴に担う役割について理解が深まった.
 2007年は,日米英中とカナダの研究機関が作成した「ハプロタイプ地図」などで遺伝子の個人差の解明が進んだ.その結果,II型糖尿病に関与する遺伝子数個を同定することができ,心房細動,自己免疫疾患,躁鬱病,乳ガン,結腸直腸ガン,I型およびII型糖尿病,心疾患,高血圧症,多発性硬化症および関節リウマチなど,多くの疾患についても新たな情報を得ることができた.
 また2007年には,DNAに含まれる何十億個もの塩基のうち数千〜数百万個が2,3世代のうちに失われたり増えたり,あるいは複製されたりして,遺伝的活動が変化してしまうことがわかった.この効果により例えば,でんぷんが豊富な食物を摂る民族がでんぷんを消化するための遺伝子を狩猟採集民より多く持つようになったと考えられる. cf 日本語版サイエンス 今週のハイライト
〔この研究分野は,2006年には7位に位置づけられていた.〕
2位 ヒト人工多能性幹(iPS)細胞の作成 (Reprogramming Cells)
 2006年,京都大の山中伸弥教授らはマウスの胚性繊維芽細胞に4つの因子(Oct3/4,Sox2,c-Myc,Klf4)を導入することで胚性幹(ES)細胞のように分化多能性を持つ人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)を確立した.2007年11月21日,同研究グループは,ヒトでも同様に実現できると科学誌Cellで論文発表.しかも皮膚に4種類の遺伝子を導入するだけで,ES細胞に似たiPS細胞を生成する技術を開発したと発表した.卵子からES細胞を取り出すのと異なり倫理的な問題がなく,将来的に再生医療に用いられる場合は,自分の細胞起源であれば拒絶反応がなくなると期待されるだけに世界的な注目を集めた.また,同日,世界で初めてES細胞を作成したウィスコンシン大学のグループも同じく人間の皮膚に4種類の遺伝子を導入する方法でiPS細胞を生成する論文を発表した.
3位 宇宙線の起源は活動銀河核と判明 (Tracing Cosmic Bullets)
 アルゼンチンのPierre Auger天文台のグループが,6x10^{19} 電子ボルト以上の超高エネルギー宇宙線の起源が,75 Mpc(2.3億光年)以内の活動銀河中心核(AGN, active galactic nuclei)である,とする解析結果を発表した.これまで,山梨県明野市にあるAGASAで発見されていた現象の真偽や起源について,米国ユタ州にあるHi-Resグループの結果も含めて,さまざまな説があったが,もっともらしい結果として決着しそうだ. 本サイト 2007/11/09に詳報あり.
4位 医薬品開発に役立つ「Gタンパク質共役受容体」の構造解明 (Receptor Visions)
 生命の維持に必要な生体機能といくつかの感覚機能を制御する役割を果たしているGタンパク質共役受容体(G protein-coupled receptor:GPCR)に属しているβ2アドレナリン受容体の詳細な3次元構造が明らかになった.現在使用されている医薬品の約半数がこのGPCRに作用すると考えられていて,今回の構造解明で,今後の新薬・改良薬開発の加速化が期待されるとともに,ヒトの健康や病気に対する理解が進むことも期待される.ただし,まだGPCRの2種類の構造が解明されただけで,残りは1000以上ある.
5位 シリコンを超える半導体新素材開発 (Beyond Silicon?)
 遷移金属酸化物(transition metal oxides)は,1986年に発見された当時,高温超伝導の発見としてノーベル賞が贈呈された.その後,この化合物は,わずかに磁場が変わるだけで大きく電気抵抗値が変化する巨大磁気抵抗効果 (colossal magnetoresistance effect) の発見でも話題になった. 現在では,遷移金属酸化物を層状に接合することによって,新しい半導体デバイスが開発されると期待されている.
6位 コンピューターへの応用が期待される「量子スピンホール効果」確認 (Electrons Take a New Spin)
 近年,半導体でテルル化水銀 (mercury telluride, HgTe) の薄い層を挟むと,量子スピンホール効果 (quantum spin Hall effect) と呼ばれる電子の異常な効果が現れるのではないか,と理論的に予想されていたが,実験的に確認された.層を貫く垂直な磁場の大きさを変化させると,電磁誘導値が量子的に変化した.現在はまだ10K以下の温度での現象だが,将来的に電子のスピンを利用したデバイスが開発されれば,コンピュータの新しいIC開発に結びつくだろう.
7位 ワクチン改良に役立つT細胞分裂の詳細解明 (Divide to Conquer)
 免疫細胞 (immune cells)の仕組みを解明する研究が進んでいる.病原体 (pathogen) が侵入したとき, CD8 T細胞 (T cell)の一部が病原体に抵抗し,残りが記憶細胞 (memory cell) に変化するが,そのような 非対称分裂の研究が報告された.
8位 医薬品化合物の低コスト合成法開発 (Doing More with Less)
 ルテニウム (Ru) を触媒 (catalyst) にして,アミンやアルコール化合物を直接アミド類にする反応がイスラエルの研究者によって報告された.また,リング状の化合物の接合についてカナダの研究者が報告.他にも,薬のための有機化合物を生成するために保護基の利用を最小限にする方法や,微生物が梯子型の毒を生成する方法を疑似化する方法などの報告もあった.化合物の合成手段が今後単純化し,低コスト化することが 期待される.
9位 脳の海馬が記憶や想像に果たす役割解明 (Back to the Future)
 海馬にダメージを受けて記憶喪失になった5人の被験者は,健常者より想像力にも若干劣ることが,1月に英国の研究チームによって報告された.海馬が記憶だけではなく,想像力にも機能していることになる. 4月には,健常者に対する脳機能画像研究によって,過去を回想することと未来を想像することが, 海馬を含めた脳の同じネットワークで引き起こされていることが報告された. 脳の記憶システムが未来の姿を結びつけているかもしれないという説はまだ証明される段階には遠いが,記憶力が想像力の母であることは確実である.
10位 「チェッカー」ゲーム解明 (Game Over)
 8x8の赤黒のマスに,12枚ずつのコマを並べて競う「チェッカー(checkerまたはdraughts)」の勝敗は, 互いのプレーヤーがミスをしなければ引き分けで終了することを,カナダの研究チームが18年間の研究の末証明した.理論的には,500x10億x10億通りのゲームの進行組み合わせが存在するが,研究チームは 10枚以下の場合の39兆通りのデータベースを解析したという.

また, 2008年に注目される分野として Areas to Watchのページには,

  • 欧州合同原子核研究所(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の実験開始
  • 微小RNA分子研究による遺伝の仕組み解明
  • 人工細菌の作成
  • ネアンデルタールとホモサピエンスの遺伝的相違の解明
  • 強磁性強誘電体(multiferroics)と呼ばれるセラミック酸化物超伝導体
  • ヒトの胃や皮膚・口の細菌集団の解明
  • 神経細胞の情報伝達の仕組み解明
などが挙げられている.

過去のサイエンス誌「10大ブレークスルー」第1位は...
2006年: 当サイト 2007/01/02「ポアンカレ予想」の解決
2005年: 当サイト 2006/01/02チンパンジーのゲノム(全遺伝情報)解読
2004年: 当サイト 2004/12/25火星が過去に大量の塩水を持っていた証拠