【2008年】サイエンス誌「10大ブレークスルー」

米科学誌サイエンスは,12月19日号で,科学界の2008年の画期的成果 「Breakthrough of the Year」を発表した. 今年は日本語のページも早々に準備されている(ちょっと訳がヘンなところもあるが).

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1位 細胞の初期化 ( Reprogramming Cells )
 生体マウスを用いた研究で,細胞の発生学的な『記憶』を消去して初期胚の状態に戻し,元の細胞とは異なる細胞へ再成長させたという報告が,日本人研究チーム(京都大の山中伸弥教授ら)と米国の別の2チームによってなされた.これは,幹細胞へ再プログラミング,すなわち細胞の初期化とも言え,形質転換された細胞は増殖・分裂した.成熟した細胞を直接別の細胞へ一足飛びに変化させる技術によって,細胞の発生は『一方通行』である という通則が打ち破られ,念願の『細胞の錬金術』が成し遂げられたといえる.将来的には,患者の疾患の原因過程を細胞レベルで研究するための新しいツールが得られたともいえる. 3年前に韓国の研究チームが虚偽の報告を行ったが,その不祥事をようやく払拭する研究成果となった.〔山中らのiPS細胞生成技術開発の研究は,2007年のブレークスルー第2位だった.〕
2位 太陽系外惑星探し ( Seeing Exoplanets )
 太陽系外惑星は,(1) 惑星の重力で主星に起こるかすかな揺れをドップラー効果を用いて測定する方法,(2) 惑星の重力により通過光が曲がるマイクロレンズ効果を用いる方法,(3) 惑星が主星の前を横切ることによる主星の減光,などの間接的な探査方法により,過去13年間に300以上の系外惑星が発見されてきた.2008年は,ついに光学的に直接検出された.
 もっとも確実で本当に素晴らしい発見は,地球から128光年の距離にあるHR 8799と呼ばれる恒星を周回する3つの天体の存在である.木星の5〜10倍の質量を持ち,地球の太陽公転速度の24〜68倍も速く恒星の周りを公転していることがわかった.これは,これまで発見された中で最も巨大な地球外惑星で,恒星からの距離がこれまでで最も遠い. 最新の技術を用いた5年以上におよぶ観測の結果である.
3位 がん遺伝子 (Cancer Genes)
 2008年,腫瘍細胞を制御不能な増殖に陥らせる変異DNAの研究が進展した.腫瘍細胞とは,概して,重要な細胞シグナル経路を破壊する遺伝的要因を伴って,細胞分裂の抑制を取り去ってしまう細胞である.ヒトゲノム解読の完了と塩基配列解読のコストダウンの結果,現在,研究者達は,がん細胞においてこれまでの方法では見逃されていた多くの遺伝子変化を系統的に調べることが可能となった.その1つとして,最も致死率の高い膵臓がんとグリオブラストーマ(膠芽腫,悪性神経膠腫)の報告がある.例えば,グリオーマ(神経膠腫)という脳腫瘍から採取した検体では,12%というかなりの頻度で,IDH1とよばれる新しいがん遺伝子が確認された.別のグリオーマの研究では,少数例において腫瘍が薬剤耐性へ変化する理由の一端が明らかにされた.さらに他の研究では,肺腺癌や急性骨髄性白血病で異常なDNAが検出された.
4位 新しい高温超伝導体 (New High-Temperature Superconductors)
 第二世代の高温超伝導体が発見された.2月,日本の研究グループが,フッ素原子でドープされたランタン−鉄−砒素の酸化物(LaFeAsO(1−x)Fx)よりなる物質を初めて報告した.この物質は臨界温度26Kまで超伝導を示す.それから3ヶ月の間に,中国の4グループがランタンをプラセオジム(Pr)やサマリウム(Sm)で置換したものを調製し,超伝導を55Kまで進めた.その後,さらに別のグループが,異なった結晶構造を有する物質を用いて,臨界温度を56Kまで上昇させた. これらの温度は,臨界温度としてはさほど高くはない.1986年に発見された銅−酸素,いわゆるCuprate(銅酸化物)高温超伝導体ファミリーでの最高記録は138Kである.しかし,鉄系超伝導体がこのような超伝導を示したことは,これまでCuprateがどのように働いて超伝導を起こすのか,謎であったために画期的である.
5位 活動中のたんぱく質を観察する (Watching Proteins at Work)
 どのようにたんぱく質がその標的分子と結合するのかについては,長年議論されてきた.多くの科学者は,標的分子の形がたんぱく質を小刻みに動かし,相補的な輪郭を作り出すと思っている.しかし,液体中のたんぱく質はその標的を見つけるまでに,少しづつ異なる構造をとりながら微動しているとも考えられる.
  • ドイツと米国のコンピューター生物学者は大量の実験データをコンピューターで処理し,たんぱく質が,多くの構造をとりながら,ダンスをしているように小刻みに揺れ動いている様子を呈示した.また,米国の研究チームが個々のたんぱく質を追跡した結果,単一の無秩序な分子現象によって,細菌細胞がある代謝状態から他の代謝状態へ切り替わることを発見した.
  • ドイツのプロテオミクス研究チームは,全体を見通せるようにズームアウトしながら,酵母細胞の6000を超える膨大な数のたんぱく質を同時に監視し,異なる2種類の細胞において,個々のたんぱく質の発現がどのように異なるかを定量化した.その技術によって,発生や疾患への新たな洞察が得られた.
  • スウェーデンのプロテオミクス研究チームは,体内のさまざまな組織が特有の性質を得ているのは,どのたんぱく質が発現するかではなく,どれだけの量のたんぱく質が作られるのか,つまり質ではなく量を調整したためであることを明らかにした.
6位 水を燃やす(再生可能エネルギー)」 (Water to Burn)
 風力発電や太陽光発電のような自然エネルギー源は,豊富に存在し,炭素(化石燃料)を含まず,価格が下落して注目を集めているが,余剰電力を産業規模で貯蔵する方法はないことが問題だった. 米国の研究チームは,その状況を変える新しい触媒を開発したと報告した. その触媒は,コバルトとリンの混合物で,電流を流すと水を水素と酸素に分解する.次いで,水素は燃やされるか,燃料電池に供給されて,酸素と再結合し,電力を生産する.白金のような貴金属が水を分解することは,数十年前から知られていた.しかし,白金の希少さと高価さは,大規模な用途に実用的ではない.白金に代わるコバルトの利用は将来性がある.
7位 胚の映像 (The Video Embryo)
 ドイツの研究チームが自ら設計した新しい顕微鏡を用いて,ゼブラフィッシュの胚を構成する約16,000個の細胞の動きを発生開始から24時間,先例がないほど詳細にわたって追跡する映像を記録・分析した.顕微鏡にはレーザービームが用いられ,これによって生きている標本をスキャンし,リアルタイムで映像を捉えると共に,蛍光の退色や光による損傷を回避した.これまでは,光による損傷で数時間しか映像を撮ることができなかった.同チームは,計算処理能力が大きいコンピュータを用いて,記録した細胞の動きを分析し,可視化した.また,映像を巻き戻して,網膜など特異的組織を形成する細胞の起源をも追跡した.よく知られているゼブラフィッシュ変異体の動画映像から,胚の発生過程において何が異常を来たしているのかが,初めて精確に明らかになった.
8位 異なる色の脂肪 (Fat of a Different Color)
 解剖学者は400年以上も前に,2種類の脂肪の違いに注目していた.褐色脂肪は,ぜい肉にはほとんど無く,あともう少しで筋肉になるような,エネルギーを使う組織に存在している.白色脂肪はエネルギーを捕まえて蓄えるものであり,医者やダイエットする人々をてこずらせる.白色脂肪を布団とすれば,褐色脂肪は電気毛布である.豊富なミトコンドリアが脂肪分子を燃やして,熱を生み出し,体を温める.
 長い間,この2種類の細胞は同じ種類の前駆細胞から分化すると考えられていた.その後,米国の科学者を中心とする研究チームが,褐色脂肪は筋肉に変えることができ,逆に筋肉を褐色脂肪に変えることもできることを発見した.そこで,褐色脂肪前駆細胞中のPRDM16遺伝子を減らすと,結果として白色脂肪が増えるのではないかと考えたが,白色脂肪が増えるのではなく,細胞は褐色脂肪の特徴を持つ一連の遺伝子の発現をオフに切り替え,典型的な筋肉の遺伝子の発現をオンに切り替えていることがわかった.また,既に筋肉への分化が始まっている細胞にPRDM16遺伝子を強制的に発現させると,逆の形質転換を引き起こし,褐色脂肪を作り出すようになった.これらの発見は,抗肥満治療へつながると期待される.
9位 陽子の予測質量 (Proton's Mass 'Predicted')
 格子量子色力学による数値シミュレーションにより,フランス,ドイツおよびハンガリーの理論物理学者たちは, 陽子と他の粒子の質量を誤差2%の精度で算出した.10年前と比較して誤差は10分の1になっている. 得られた数値自体は特に目新しくはなく,既に,ほぼ一世紀にわたって種々の実験によって測定されているものだが,今回得られた結果は,クオークを結びつける「強い力」がようやく正確に計算できることを示している.
10位 配列解析の当たり年 (Sequencing Bonanza)
 最初にヒトゲノムの解読に用いられた手法よりも,格段に安価で速い新規ゲノム配列解析技術が,配列解析ブームに火をつけている.
  • 454 社の『合成による配列決定』技術によって,絶滅したホラアナグマやネアンデルタール人のミトコンドリアゲノム,さらにはマンモス全ゲノムの70%が解読された.454社技術では,蛍光標識したDNAを微小なビーズ上で『成長させる』方法がとられている.
  • ネアンデルタール人の全ゲノムについても,予備解析によるドラフト配列の解読が進んでいる.アジア人,アフリカ人,そしてがん患者のゲノム解析が報告され,太古における人類の移動や,悪性疾患の根底にある候補遺伝子に,新たな光が当てられた.Solexa社(現在はIllumina社の一部)の開発した,ガラスプレート上でおこる超並列的な反応によってDNA配列を解読する技術が利用された.
  • Pacific Bioscience社は単一DNA分子の配列を解析する会社であるが,同社の技術概念を立証する論文では,さらに高速化した配列解析を垣間見ることができる.現段階におけるこの技術の目標は,より高い精度を実現することである.
一方,配列解析にかかる費用は下がり続けている.ゲノムあたり5,000ドルが実現可能な会社まで数社出現した.

また, 2009年に注目される分野( Areas to Watch)のページには,

  • 植物ゲノミクス:トウモロコシゲノムの解読結果が発表
  • 大気中の二酸化炭素の増加による海洋の酸性化が急速に拡大
  • 法廷における神経科学の利用(脳電図の利用には賛否両論あるが..)
  • 国際気候サミット(コペンハーゲン COP15)への道程
  • 暗黒物質が見える
    2008年,軌道周回する粒子検知器PAMELAと粒子収集装置ATICによる気球実験の両者で,そういった対消滅現象の兆候が報告された.2009年には,PAMELAの得た結果とATICの得た結果の整合性が確認される.また,2008年の6月に打ち上げられたNASAのフェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡(Fermi Gamma-ray Space Telescope)で暗黒物質の対消滅現象によって発生した光子を調査する予定もある.ただし,2009年12月まではその光子が明らかにされることは期待できないが.
  • 種を2分する遺伝子を解明する新たな糸口
    2008年,研究者らは線虫からマウスに至る多様な動物の繁殖の成功を妨げる遺伝的不適合性の原因を発見した.遺伝学,遺伝子配列決定技術,蛋白質研究が進歩した結果,今後数か月でより一層多くのそういった「種分化遺伝子」が発見されると思われる.
  • テバトロンの偉大な成功
    スイスの研究者らは我先にと巨大な大型ハドロン衝突型加速器を稼働し,粒子を衝突させようとするだろう.しかし現実に劇的な進展が見られるのは,イリノイ州バタヴィアにあるフェルミ国立加速器研究所(Fermi National Accelerator Laboratory)の方であると予想される.2009年,テバトロン加速器がヒッグス粒子存在の兆候を突き止めるに足るデータを収集するに違いない(間接的な証拠が示すように低質量である場合の話だが).「Eureka(見つけた)!」という叫び声を聞いても驚かないように.2009年でなければ, 2009年に収集したデータの解析が終了する2010年に.
などが挙げられている.

2009年は,

  • ダーウィン生誕 200年と彼の著書『種の起源』の出版150周年を迎える
  • ガリレオの望遠鏡発明から400年を迎える.

過去のサイエンス誌「10大ブレークスルー」第1位は...
2007年: 当サイト 2007/12/24ヒトの遺伝的多様性の解明の進展
2006年: 当サイト 2007/01/02「ポアンカレ予想」の解決
2005年: 当サイト 2006/01/02チンパンジーのゲノム(全遺伝情報)解読
2004年: 当サイト 2004/12/25火星が過去に大量の塩水を持っていた証拠