皆既日食,見てきました!!

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2009年7月22日,小笠原近海で,皆既日食を見た.
参加したのは,客船「ふじ丸」を1週間チャーターした,兵庫県立大の皆既日食アカデミックツーリズムである. 小学生の頃より一度は見たいと思っていながら36歳の誕生日を7回も迎えてしまったが, 幸いにも,絶好のロケーションで初めから最後まで味わうことができた.

この感動を残したいと思いつつ,もう3週間も過ぎてしまった(そもそもこのブログも2年近く休止状態だが..). ふと検索すると,ふじ丸に乗船した多くの方のブログやYoutubeへのビデオ投稿が手に入る. 知らぬ間にツマも 日食体験記をアップしているし,デッキで隣にいた 福江氏も毎回の食事の写真付レポートを掲載している.日食に関するサイトを 運営している 佐山氏もふじ丸レポートを掲載されている. 皆さんの文章力には及びそうもないが,書いておかないと夏休みが終わらない気がして,私もようやくキーボードを たたくことにした.

なお,私は, スタッフ側だったこともあり,写真もビデオも撮る余裕がなかったので,文章だけである.素晴らしい写真は, スタッフでもきちんとカメラを持って来られていた方がいて,例えば, 大西氏大鐘氏畑田氏井垣氏 のページから写真を見ることができる.いずれ, 米田氏戸次氏 もアップされると思われるので,期待したい.

参加するまで

昨年の春に,自宅に送られてきた西はりま天文台発行の 機関紙「宇宙Now」誌に,皆既日食ツアーの予告とボランティアスタッフ募集の記事(pdf)が掲載されているのを発見した. 即日,主宰の黒田武彦氏にメールで応募した.(ちなみに,私は,天文台の友の会のメンバーではないのだが,以前,天文講演会をさせていただいた関係で,「宇宙Now」誌が送付されていたのだ). 皆既日食があるのは知っていて,まだまだ先と思っていたところだが,これほどよい条件のツアーはなかろう.何しろ船で晴れ間を目指して動けるのだ.それに, 大学を1週間も休むには,スタッフの肩書きが必要だとも考えられ, 以前の講演会のお礼+英語も可+家族3人も乗船というアピールが効いてか, 黒田氏には面識がなかったのにも関わらずスタッフに採用していただいた.

後から聞いたが,このツアーは黒田氏が6年も前から企画されていて,ふじ丸にも日食ツアーのオファーが10以上あったという. 兵庫県のツアーとして,兵庫県立大学を動かし,実現にこじつけたそうだ.彼の熱意とパワーには恐れ入る. 昨年5月に,ツアーを大学が発表し予約受付を開始したところ,初日で500人の定員を超え,キャンセル待ちになったそうである.

実は今年になって,インフルエンザが流行し,関西地区の学校は5月に1週間閉鎖したところが多かった. 学校関係者は,このため夏休みに入るのが遅れたところが多く,そのために日食ツアーのキャンセルも多く発生したという. 当然,振り替えで定員は充足されていたが,私自身も大学の授業期間が伸びて 「学会発表でもないのに,なんで休講にするのか」という問題が発生し,学部長直訴状でなんとか乗りきったのだった. それにしても前倒し補講6コマは実に厳しかったし,ツアー翌週に若手夏の学校で講演を頼まれていたので その準備もままならず,ツアーには結構ボロボロな状態で辿り着いたのだった.

スタッフの仕事

ツアー前の6月に,1回だけ,スタッフが集合する打ち合わせがあった.そこで,はじめて黒田さんに自己紹介する. 私の他のスタッフの方はほとんど西はりま天文台友の会の方で,お互い知りあいのようだった. 長野高専の大西さんと米田さんのカメラのレンズに関する会話は,私にはまるで宇宙語のようにも聞こえた. ただ,皆さん 個性が強そうで,面白くなりそうな予感は多々あって,実際そうなのだった.

打ち合わせでは,1日かけて,スタッフの動きや,ツアー全体の行動計画などを確認したり提案したりした. スタッフは,ツアー中の各種イベントを分担したり,日食観測中のデッキの担当,来賓の担当など, 自由時間がない位忙しそうだ.そして,実際,毎夜の打ち合わせやスタッフ同士の食事や飲み会を含めると, まるまる1週間,寝食を共にすることになるのだった.

私は,理研の望月さんと,サイエンスカフェの進行を,ということだったが,カフェは中止になっていて,代わりに サイエンストークの司会進行となっていた.自分から喋りたい人間は多数乗るはずだ, という黒田さんの予想で, サイエンストークの他にもフリートークが設定され,どちらも 誰がトークするのかは未定のままツアー初日を迎えることとなった. 実際,フリートークは出港後のアナウンスでも講演希望者が殺到した. サイエンストークで誰が話すのかはふじ丸が出港してから黒田さんが調整され,その場で,いきなり私も望月さんも30分の時間を与えられたので,2人とも トークの準備を船の中で行うことになるのだった.

サイエンストーク

ツアー中に私と望月さんとで担当したサイエンストークの内容はいつも前日に調整されていた. おそらく,オフィシャルな記録は残っていないと思うので, ここに記録として書き出しておく.

時間と場所講演者とタイトル
20日(月)
21:30ー22:00
1Fシアター
森本雅樹さん(タイトル未定,ダークマターの話?)
明珍宋理さん(タイトル未定,火箸風鈴のお話)
21日(火)
15:30ー16:30
1Fシアター
望月優子さん「宇宙と生命とのつながり」
       ー生命と元素、星、宇宙のリズムー
寮美千子さん「黒い太陽のお話 日食の科学と神話」
22日(水)
16:00ー17:00
1Fシアター
石塚睦さん    「ペルーにおける天文学の建設」
ホセ・イシツカさん ーー52年間のお話ーー
畑田佳江さん 日食観測の感想 
山崎伸子さん 日食観測の感想
(畑田さんと山崎さん,7月22日誕生日おめでとうございます)
23日(木)
21:30ー22:30
2Fパシフィックホール
真貝寿明  「タイムマシンはできるのか?」
       相対性理論入門(pdf, 9MB)
柴田鉄治さん「南極から人類の未来を考える」
24日(金)
16:00ー17:00
2Fパシフィックホール
海部宣男さん「望遠鏡400年が拓いた宇宙」
秋山晋一さん「世界天文年2009ガリレオ望遠鏡の
       精密復元プロジェクト」
25日(土)
8:30ー9:30
2Fパシフィックホール
国枝すみれさん 「新聞記者の日常」
福江純さん   「ちょうどいい宇宙」
ご講演いただいた方,ご協力ありがとうございました.そして毎回,100人前後のお客さんに起こしいただき,どうもありがとうございました. つたない司会進行で失礼いたしました.

ふじ丸航海

ふじ丸は7月20日午後3時に姫路港から出港する. スタッフは前日の夜8時に乗り込んだ.これまで豪華大型客船に全く縁の無かった私は,はじめ,高さ8階のふじ丸を大きなビル,と勘違いしてしまう.こんな大きな乗り物が動くはずない,とまで思えてしまう大きさだ. スタッフは打ち合わせや船内の確認作業などを行う.この場ではじめて戸次氏デザインの黄色Tシャツが披露され,各自に配布された.乗客は540名位,我々スタッフは(イベントスタッフ含めて)30名位,そして船内従業員は130名程だという. 19日の夜の姫路は雷鳴が響くほどの大荒れで,外を歩くだけで蒸し暑い.日本はまだまだ梅雨真っ盛りなのだった. とりあえず,スタッフ3人の我々の客室(with 芝滝氏+畑田氏)では2時までビールで乾杯.

20日午前中もいろいろと準備に追われた.インターネットが一週間使えなくなるので, PHSを通して必要な情報をいろいろとダウンロードしたり, ピアニストの福田さんの持ち込んだチェンバロを搬入したり...と作業に追われるうちに, 皆さんの乗船が始まり,いつの間にか3時になって, 姫路港開港50年記念の行事として盛大に紙テープの舞う中,ふじ丸は出港した. このときはちょうど晴れていた.出港後,すぐに参加者全員がパシフィックホールに集合し開講式. そして,夕方はふじ丸主催のウェルカム立食パーティ,海部氏の世界天文年の話に,サイエンストーク, コンサートなど行事が始まった.夜には船は黒潮を横切りはじめ,大きく揺れはじめる.外は雨で, 観望会は中止となった.夜には豪華な夜食も提供された.スタッフは夜11時半に集合し報告会. スタッフは(船側の計らいにより)ビールも飲み放題なのだが,飲む暇はほとんどなかった.

21日は,丸一日,南下をつづける日である.蒸し暑い中でスタッフは朝6時から各デッキにテープを貼るなどの作業を開始. 外は風が強く,大きく揺れる船の中で午前2コマ・午後2コマの大学公開講座が行われた. トップバッターの黒田氏は,PCトラブルで2番手になったが,6分39秒384の今世紀最大の皆既食を最大皆既地で観測する,と宣言.兵庫県立大としてすでに「日食を観測しました」という修了証を印刷してしまっているので,見ないわけにはいかないのである.日食を一度見ると次の日食も追いかけてしまう日食病の話や,はじめのダイヤモンドリングを見ると目が暗さに慣れないので注意するように,などと観測上の注意も.

昼前には実際に各デッキに分かれて,日食観測の予行練習を行う予定だったが,風が強かったためにデッキの下見だけになった.ホールからデッキに出る直前, 相変わらず絶好調の森本おじさんが「日食は明日ですか明後日ですか」の質問をして,拍手喝采. 船のデッキは6フロアに分かれ,各自が90cm x 150 cmのスペースを確保できるように予定されていた.スタッフとしては,適当に人がばらけてくれることが第一の心配事だった. 私が担当する200人収容の6階スポーツデッキが最大の受け入れ先 となるはずだったが,なんとかなりそうだ,という感触を得た.

船が受信した天気図では小笠原周辺に小さな高気圧がやっと発生, 船長から日食時には東南東に5ノットの速さで進むだろうことが伝えられた. 誰もが翌日の晴天を祈って夕方から夜のイベントを過ごした. 夜にはトカラに向かうと思われていた横浜発の「ぱしふぃっく・びいなす」(NHKや天文学会が乗船)がふじ丸の左舷を横切って 追い越してゆくという無謀航海をしたため,黒田艦長は敵船と認定した. 夜の観望会では雲間から星が時折見える. 私は,デッキでの日食観測に備えて,指導の予習に没頭する.数冊持ち込んだ本を必死で読んだ.

皆既日食

いよいよ22日.朝4時50分に日の出を見た人は,グリーンフラッシュが撮れた,という. (神戸新聞 7月30日 版に写真が掲載されていた). その噂が一気に広まって,その後,多くの人が甲板で日の出と日の入りのシャッターチャンスを狙うことになった. 朝6時には北硫黄島を通過. カツオドリが船に沿って飛んでいる.船に驚いて飛び上がるトビウオを狙っているのだそうだ. 少し雲はあるもののほとんど快晴.なんとラッキーなことか! 朝8時半のパシフィックホールの集合は, 黒田さんの「みなさん,あけましておめでとうございます」の挨拶で始まった. 9時にデッキへ移動し,場所取りの混乱もなく,嬉しい炎天下の中, 日食の開始を待つことになった.海の色が青くて美しい.周囲には飛鳥IIと,イタリアからの客船コスタ・クラシカもいた. 部分日食が始まる10時頃から, 黒田さんが主マイクを担当され,時折冗談を交えた解説が楽しく行き渡る.

日食グラスを通して部分日食が次第に拡大してゆくのを見たり, ピンホールを通して見られる太陽の光が部分日食の 形をそのまま映し出しているのをあちこちで楽しむ.指の間から漏れる光も, 麦わら帽子の影も,だんだんと部分日食を 表すようになる.スタッフの畑田さんは自作のフィルタ付望遠鏡を披露したり,時折皆で鏡で壁に太陽を映すイベントも 企画してくれた. すぐには気付かなかったが,周囲はだんだんとうす暗くなり,気温も下がっていった. デッキ上にいた私の家族の隣には福江家族がおられたが,準備万端で,温度計も持っておられた.はじめ43度だった 甲板の気温は皆既時に28度前後まで下がったそうである.皆が汗も出ない涼しさに気付いたのは皆既直前に近かった.

北緯25度にいるため,太陽は天頂近い85度の高さである.皆既の頃はほぼ真上.甲板ではみな持ち込んだシートに, 南側に足を揃えて寝ころんだ. 皆既10分前頃,西側45度に金星が見えはじめる.皆既数分前には,西からやって来るはずの闇(「本影錐」)を見ようと時折 顔を西に向けるが,よくわからない.ダイヤモンドリングを見逃すまいと,やはり顔を上へ向ける. (本影錐はビデオでないと確認が難しいらしい). カメラやビデオで撮る人は,皆既1分前にフィルタを外す作業があった.「1分前になったら教えてください」と隣の人から 依頼もあったが,船の正確な位置がわからないし,時計も正確ではない.適当に「1分前ですよー」と言ってしまったが合っていた. 私自身はビデオに手製のフィルタを付けていたが,そのレンズが外れないというトラブル発生. 仕方なく,そのままビデオを回し続けることにして,目では見逃すまいと太陽に目を向ける.

第2接触と言われる皆既開始のダイヤモンドリング.本当に数秒前まで日食グラスが必要なくらい眩しく, ダイヤモンドのように見えたのは1秒か2秒.すっぽりと月が太陽を包み込む瞬間には,太陽の赤い輪郭が見えた. これがプロミネンスか!と声を上げたが,後から説明を受けるとプロミネンスは赤い小さな炎で肉眼では確認は 難しいらしい.私が見たのは「ベイリービーズ」(天文学者Bailyにちなむ)と呼ばれるものだったらしい. 甲板では歓声があがり,拍手もおきた.最後の閃光を裸眼で見たので,ちょっと目がくらみ,やがて暗さに慣れてくると, 太陽のコロナがしっかりと見え,そして, 東側15度程に水星が見えた.いままで見たことのない水星と出会うのが私の目的の1つだったから感激である. 娘が新しいデジカメで,しっかりと水星をビデオ撮影していた. 皆既中は双眼鏡でも太陽を見ることができる.実に不思議な体験だ. 南にシリウスも見えた.オリオン座も探したが,1等星がわずかに見える程度.海上なので散乱光が多く結構明るかった,というのが 後からなされた説明である.

ふと身を起こしてみると,周囲が360度,美しい夕焼けである.「みなさーん,周りがきれいな夕焼けですよー」と 思わず叫ぶ.周りの人も,その言いようのない美しい色合いにどよめきが. 日食後に参加者のお一人から「どうして周囲が赤い空になるのか」と 質問されて,即座に(レイリー散乱で)「空気中を長く光が通過すると朝焼けや夕焼けのように 赤い色に見えるのです」と説明して納得してもらえたが, 後から考えると皆既帯の幅は中心から100km以上あり,船の上からみえる水平線はたかだか数10kmだろうから,夕焼けの高さは もっと低いはずかとも思えた.散乱を繰り返した光が水平面から徐々に闇になるグラデーションをさらに演出していた美しさなのだろう.

昼なのにこの暗さは不気味でもある.日食の予報を行うことが歴史上どれほど重大な任務だったのか,ようやく分かった気がした. それにしても,分秒違わず日食を予報できるニュートン力学はなんて偉大なんだろう,と考えているうちに,「そろそろダイヤモンドリングになりますから,双眼鏡は止めて,日食グラスを準備してくださーい」と叫ぶ時間になった.あっと言う間の6分間である.

皆既終了時(第3接触)のダイヤモンドリングは静かに始まり,西の上側から一瞬の閃光を見せた. 目が暗闇に慣れているため,その一瞬がとても美しかった.回しっぱなしで放っておいた私のビデオでも偶然 その瞬間が(ピンボケで)映っていたが,黒かった目玉焼きがわずかに1-2秒たつと,画面が光で満ちあふれている. カメラ撮影のプロでも,この一瞬の輝きが撮れるかどうかは運次第だそうで,ひたすら連写を続ける音が響いた. ついに見た.感動の日食である.周りから「見ちゃったねー」と声が上がり,みな呆然としていると, 黒田さんがマイクで「シャドーバンドです.」ビデオを再生しても 映っていなかったが,ダイヤモンドリングから30秒後からおよそ12-3秒間,甲板にさざ波が走っているのが見えた. しばらくして「今見えているのはシャドーバンドではなく船の煙です」というアナウンスで笑いがおき,「全部成功です!」 の黒田節に一同拍手喝采となった.ダイヤモンドリングから1分経っていた.

美しかった.その一言以上,形容できない日食だった. 世にいう「日食ハンター」として世界中飛び回る人たちの気持ちもはじめて理解できた. 日食は美しくもあるが,寒くて暗くて不気味でもあった. その一瞬に居合わせることが,宇宙との一体感を..などとまで言うつもりはないけど, やはり写真で見るのと実際にその場にいるのとではまったく違う.一生に何度体験できるか分からない,貴重な貴重な瞬間であった.

ふじ丸航海(日食の後)

日食後,ふじ丸は小笠原に一日寄港し,そして二日かけて雨の中を姫路に戻ったのだが,実は私自身も動き回っていたこともあり, 記憶が走馬灯のようである.

日食の撮影記録披露会があって,皆さんの力作を見られたこと,...
小笠原で日食記念のガムを買い占めたこと,,...
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とても書ききれる自信がないので,この駄文も閉じることにするが, なにより嬉しかったのは,志を同じにしてツアーを成功させた人, ツアーに参加できたことを素直に喜び楽しみ感謝してくださった多くの人との出会いであった.

そして,今回,ボランティアとしての参加であったけど, あちこちの公共天文台でボランティアとして働いている多くの方がいることも知った. 私にも何かできることをしなくては,...という気にさせる多くの方との出会いを大切にしたいし, 今後も続けたいと考えている.

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このページは、shinkaiが2009年8月15日 10:12に書いたコメントです。

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